30歳を過ぎてから人と何を話せばよいのかわからない
何を聞いて良くて何を聞いたらダメなのかがわからなくてニコニコ文鎮になる

みんな若い頃は大体同じような道を歩んでるし、同じような悩みを抱えているから広い意味で”同じ部活”に入ってるような感覚だった。だから、例えば、受験期になったら「理系なのに漢文はだるい」という話ができたし、大学に行けば「彼女がうんたらこうたら」とか「バイトの時給が低過ぎる」という話ができた。大体、みんな同じような道を同じようなテンポで歩いてて、話題に困らなかった。
しかし、20代を経て、30歳を過ぎると、みんな生き方が全然違って、全く別の道を歩むことになる。そうすると、抱えている悩みに共通点がなくなるし、ある人からしてみれば「そこで躓いてるの?」ということもあるだろうし、「ここが地雷なのか!」ということもたくさんある。
何を聞いて良くて、何を聞いたらダメなのかがわからなくなるのである。例えば、大学生の頃に「彼女いるん?」なんて何となく聞いたりしたけど、今、「結婚してるんですか?」なんて聞くことはできない。そこに何らかの意図がなかろうと、「結婚してないのなら僕と結婚して下さい」に聞こえるかもしれないし、「そりゃあ結婚できないですよね」に聞こえるかもしれない。「母の日ですね~」などと聞いて「死にました」では困るのである。
とにかく、違い過ぎる人生(仕事・無職、結婚・未婚、子供の有無)を歩んでいると、考えていることも悩んでいることも全く違いすぎて共通の話題がない。しかも自分とは別の人生を歩んでいる人たちが何に悩んでいたり、何を気にして生きているのかが全くわからないのである。
ベランダに干していた洗濯物にテントウムシが付いていたとして、「テントウムシの気持ちを50字以内で答えよ」と言われるくらいわからない。
「…干したてだから…フカフカしてるよね…?」これが限界である。どうかテントウムシに聞いてくれ。
例えば、自分に子供がいれば、子供をもつ親同士では子供の悩みという共通点があるし、それが話題になる(と言ってもこれはこれでマウントにならないように気を付ける必要もあって大変そうだが)。でも、子供がいない私にとって、子供がいた場合に発生するであろう悩みはすごく外野的な想像に留まってしまう。そして、何か思いついたとしてもそれを聞いて良いのかダメなのかも判断できないのである。
私もみんなももう十分に生きてきて多くのことを熟慮したような顔で、配慮しながら話をしないといけないのに、私もみんなも生きてきた道が違うから自分が歩んだ道とは違う道についてはド素人同然なのである。三歳児なのだ。だが、良くない質問をして、「その道については三歳児ですからすみません!」では済まないのが難しいところである。
そして、立派なニコニコしているだけの文鎮ができ上がる。
例えば、私は5年も弁理士試験の受験生をやっている。もう半分ベテランの域である(自嘲)。だから、資格試験に長く挑戦し続ける人のしんどさは肌感覚でわかるし、大げさに言えば”語る資格”があるのである(私自身はそこまで排他的なつもりはないが)。
やってきたからこそ、しんどい気持ちを共有できる感覚があるし、共感に説得力が出る。これが仲間意識に繋がる。不遜が過ぎるかもしれないが、資格試験の受験をしていない方からすると、「大変さを軽く聞いても良いのだろうか」と気を遣わせてしまっているのかもしれない。
踏み込むリスクが大きくて、自分の人生が前途多難

私は今でも出会った人たちと仲良くなりたいという気持ちはある。できればもう少し踏み込んで、多少は近しい存在になれればとも思う。だけど、そういう感情よりも踏み込んだときの失敗のリスクの方が大きかったり、そもそも全員忙しすぎて踏み込めない。忙しい人の時間を割いてもらうのは申し訳ないし、私自身も同じく忙しくなった。
「いや…今年は弁理士試験に受からんとあかんし、仕事もいっぱい覚えることだらけだし…そういえばもう何年も彼女もいないし…ああみんな元気かなT_Tww…落ち着いたら探すか……とりあえず前途多難で、四面楚歌で、万事休すだな…」というわけである。
要するに、私は今とてつもなく疲弊している。仕事と勉強しかしてないから本当に話題がない。民法の「抵当権に基づく物上代位と債権譲渡」の話であれば盛り上がれる気もするが、四六時中論文しか書いていない私にはこんな話題しかない。
そして思うのだ。人生において、受験生時代は「病気」みたいな期間である。私は今、「罹患」しているのだ。もう5年ほどになるが、去年から治りそうと主治医には言われているが、まだ「治らない」。
私は今、懲役5年目である。そして、7月下旬に”仮出所の審査”が行われる。この審査に通れば晴れて仮出所である。仮出所を控えた模範囚の私に楽しい話題などない。仮出所の審査に落ちれば無期懲役囚になるかもしれないのだ。
会社と家を往復して、仕事が終われば民法の論文を書いて、休日は図書館かファミレスに出かけてひたすら民法の論文を書いているのである。事件は起きない。これが受験生の現実だ。結局のところ、常に頭のどこかに弁理士試験が見え隠れしていて、ずーっと頭の上は曇天である。
ということで、今の私には話題が何もないし、濃いめのウイスキーで現実逃避しながら元気よく振舞うのでいっぱいいっぱいである。


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