5年半の集大成
今、「僕はやることはやった」そういう気持ちである。そして、明日を迎える。これさえ受かれば口述試験。これがダメだったら三振である。今日、ガストで勉強していた帰りに「僕は何をしているんだろう」という気持ちになってきた。弁理士になられた方であればもしかしたら分かってもらえるかもしれないが、絶対受かりたい!!とかっていうメラメラした闘争心はもうとっくの昔に燃え尽きていて、今や「もう何でもええから解放してくれ…」という想いをただただ神に祈るばかりなのである。闘争心の賞味期限は大体3年である。それ以降はもはや惰性である。
わざわざ茨の道を選んだのは間違いであったか。では、この5年半を何もせずにただ20代の延長でそれなりに暮らしている方が幸せだったか。自分でもよくわからないなと思った。別に挑戦しない道を選んだとしても不幸せというわけじゃないよな。そして、弁理士に合格できたからといって幸せになるとは限らないよなと思った。ただ、弁理士に挑戦していなければ「弁理士に挑戦していたらどうなっていただろう?」とは思っていただろうなとは思った。挑戦した方の自分は挑戦していない方の自分は想像できるけど、挑戦していない方の自分は挑戦した方の自分を想像できないのだなと思った。
もうどうでもいい、どうでもいいんだけど受からないといけない。受かったからといってそんなに盛り上がるような気持ちになる気もしないし、受かったあとのことなんて何も考えられない。ふらふらしてそうに見えて、初めて入所した特許事務所でわからないの繰り返しで実務に取り組む傍らで仕事終わりも休日もずっと民法に捧げてきた。
この物語は「合格」という形で収めなければ帳尻が合わない程度には労力と時間とお金を割いてきた。僕はコンコルドの誤謬に犯されたゾンビである。

去年、選択科目民法に落ちた。さすがに受かるであろうと高を括っていた。民法の採点はよくわからないが、55点だった。そして、2026年、足りない5点をもぎ取る旅に出ることとなった。

5年半も同じ資格試験にチャレンジしていると疲弊してくる。もう普通の生活をしたいというか、これ「何なんや?」という気持ちでいっぱいになってくる。疲弊と食傷。噛んで味のなくなったガムをずっと噛み続けているような気持ちになる。
そもそもどうしてこんなことを始めたんだろうか?
コロナ禍だった。私は20代後半に差し掛かり、目先に30歳という大台に乗ることについて立ち止まって考えていた。20代の頃、僕は一生若者だと信じて疑わなかった。いつまでも20代であると思い込んでいた。もちろん1つずつ年齢は重ねるが、20歳のときも25歳のときもちゃんと肌はピチピチだったし、老いている感覚はなかった。霜降り肉も美味しく食べられたし、適当に暮らしていても何かやっていけそうな感覚だった。しかし、目の前に30歳が立ちはだかったとき私は思った。
「あっ…私も老いるのか。死ぬのか。ああ…非常に有限なのだな」
人間は意外とすぐに老いるし、すぐに死ぬことに感覚的に気づいた。人生はすごく短いことに気づいた。蟻や蝉やバッタが死んでいるのを見て他人事に思っていたが、あれはいつかの僕なのだなと思うようになった。それが28歳とか29歳とかそこらである(とても遅い)。
深く深く人生について考えて、浅く浅く弁理士試験を受ける決意をした。
まあ、2年くらいで受かるやろう

ポジティブなのか何なのか自分でもよくわからないが、「何かよくわからんけど、これ覚えたら全部解けるやつやろ。んなら、受かるやん。単なる暗記勝負やろ」と特許庁のホームページに掲載された弁理士試験の過去問を見て思った。
僕の見立ては半分正解、半分間違いであった。2年では受からないし、暗記だけなのかと言われるとかなり論理的な思考力を伴う暗記勝負という感じだ。僕には一発で法律の内容を理解することができなかったし、何度も何度も繰り返し講義の映像を進めて止めてを繰り返して膨大な授業をこなしていった。2時間の講義を3時間かけて毎日観ていた。仕事終わりに毎日タイタニックを観ることを想像してもらえれば分かると思うが、本当に僕の生活は“タイタニック”に犯されていった。
薔薇の道が続くのだと思って始めた弁理士試験だったが、走り出した道に薔薇は咲いていなかった。ただひたすら茨であった。
今回落ちたら三振するけど、僕は多分三振しない

これだけ何度も落ちていて説得力の欠片ないが、明日受験する弁理士試験 民法に合格する。それもおそらくギリギリの点数ではなく、余裕をもった点数で合格する。
毎度、毎度、今回は受かると言って落ちてきたが、また、性懲り無く自分を信じているのである。なぜ受かると思うかと言うと、非常に多くの問題を解いてきて、非常に多くの思考を繰り返してきたからだ。去年、落ちてからの1年弱、たくさん民法のことを考えた。まだまだ抜けはあるなと感じるし、やればやるほど民法って1年そこらで理解できる法律ではないというのもよくわかった。
民法ってすごく深いし、判例をもとに作成された事例問題なんか知らなかったらその場で考えて答えを出すしかないのだが、模範解答を見て、「そんな風に考えると平仄が図れるのか」と感心する。
やはり仕事をしながら試験勉強をするというのは生半可なものではないし、弁理士試験の難易度を考えると兼業でやるような資格ではない。
東大卒の合格率が10%だよ?受験生のほとんどが東大、京大を始めとする旧帝卒で合格率6%だよ?T_Tこの試験より受験者層高い試験がそもそもないでしょT_Tでも僕は受かるのだ。なぜなら僕は偉いからである。
何者かになりたいと思って始めた弁理士試験

30を目前にして弁理士を目指そうと思ったとき、僕は「何者かになりたい」という欲求があった。それを満たしてくれそうな資格が弁理士だった。ただ、振り返ってみると、人生において何者かになるということはそんなに重要なことではないなと思うし、そんなことより楽しいなと思えることが大事だなと思うようになった。思うようになったというより、前々から思っていたことを再認識させられたという感じである。
結局のところ、「楽したい」精神は弁理士を目指す前から何も変わらないけど、やってみたいなと思ったときに一回ガチって挑戦しておかないと、多分110歳くらいで、「80年前に挑戦しといたら良かった!!」って後悔すると思うんだよな。だからまあええんちゃう?弁理士試験やるのも。
受かった暁にはまた次の何かを考えるさ。


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