ラーメン屋は客が「美味い!」と思えば通うが、OA対応は顧客がどうやって「美味い!」と判断するのか

弁理士試験

サービス業は客に「美味い!」「楽しい!」「素晴らしい!」と思ってもらって初めて通ってもらえる

正義が勝つためには? 顧客に超こだわりの備前焼を売る難しさ

最近、私はこういうツイートをした。

ラーメン屋って素人でも「ここのラーメン美味いから通おう!」ってなるやん?でもどうやって客先が「このOA対応は素晴らしい!」って判断するん?舌の超えた(「肥えた」の誤字)客じゃないとこっちの苦労が伝わらんやん。客先が意味不明なこと言ってきたらテキトーにいっぱい案件捌く方が儲かるくね?と思うわけで。

ラーメン屋は客(素人)であっても「美味い!」と判断できる。そして、「美味い!」と思えば通うようになる。だから、ラーメン屋としては美味いラーメンを作る意味があるし、それが購買意欲になる。塾講師も生徒(素人)が「わかりやすい!」と判断できるし、成績が上がればもっと講座を取ったり、紹介をしてくれるようになったりする。介護士も被介助者(素人)が良い介護だと感じることはできるだろうし、バーに行けば、客(素人)はこの店は居心地が良いと感じることができる。医者も素人が「治った!」と判断できる。

サービス業は、構造上、素人に良いサービスであると判断されることが次の購買意欲(リピート)に繋がって儲かる仕組みで成り立つ業種である。大前提として、客側が、受けたサービスに対する評価軸をもっていることが必要だ。しかし、特許事務所で弁理士や特許技術者が行っているサービスというのは非常に難解で複雑であり、サービスの良し悪しを判断するためには、客側に相応の知財の知識や深い文章理解を要求することになる。つまり、顧客が素人の場合、素晴らしいサービスが徒労に終わってしまう。

私は前職では予備校で化学を教えたり、模試を作るサービス業をしていた。そして、知財未経験で入所して、1年と少し経過し、同じサービス業である明細書作成やOA対応をしていて日々感じることを書いていく。ここでは敢えて文意のため、顧客を「素人」と書かせていただくが他意はない。大体は自分の仕事以外みんな他業に対しては素人である。

素人にこだわりの備前焼を売る難しさを持ち合わせた仕事

弁理士の仕事は、割と玄人でオタクっぽい気質を持ち合わせた仕事だと思う。弁理士と顧客の関係性は、例えば、刀鍛冶と刀を買いに来た客とか、備前焼の職人と備前焼を買いに来た客とかと似ている。しかし、一つ違うのは、刀や備前焼の売買の場合は、客側も知識豊富なマニアなのである。弁理士の顧客である企業は果たして知財マニアだろうか。

玄人、オタクっぽい商売の場合、客側も刀や備前焼に対して詳しくなければ、適当な刀や備前焼を大量生産した方が効率良くなってしまう。コミケのオタクフェスみたいな感じで商売をするのではなく、割と一般的なサービス業として、こだわりの”刀”や”備前焼”の売買をする弁理士という仕事は(単純に客観的に構造として)かなり捻じれた仕事だと感じる。

刀や備前焼を買いに来る顧客は普通は刀マニアであり、備前焼マニアであるが、企業の研究職の方や、大学の研究者や、企業知財部の方は、自ら進んで知財に入り込もうとしているのではないため、知財マニアではないパターンが多い。知財マニアじゃないのに知財文書を購入しにくるという捻じれた構造になっている(だからこそ顧客が素人であるというのは顧客に責任があるとも言い難い)。

しかし、いくらこだわって、必死に脳みそに汗をかいて素晴らしい対策案を作ったとしても、作成したOA対策案が「素晴らしい!」と顧客に伝わっていなければ、次の購買意欲には繋がらない。それなら、適当に文章作成して「これでいきましょう!」としてしまう方がたくさん仕事を捌けて儲かってしまう。

一応断っておくが、顧客がOA対策案や起案した明細書の良し悪しを判断できないのであれば手を抜けば良いと言っているわけではない。あくまで、手を抜いた方が儲かりやすい構造に対して疑問を抱き、必死に脳みそに汗をかいて素晴らしい対策案を作った側が儲かるという「正義が勝つ」仕組みでないと、必死に脳みそに汗をかいて素晴らしい対策案を作るという作業は自己満足に終わってしまい、意味合いを見出せなくなるということである。

塾講師業的に言えば、どうやって生徒自身に「点数が上がった」とか「大学に合格した」と認知してもらうのかを知りたいのだ。

極端な話、侵害訴訟が起きるまでサービスの良さは伝わらない

権利範囲をできるだけ広くするためにできる限り限定しない補正方針でOA対応する場合、弁理士や技術者の負担は高まる。そして、負担を背負って、頑張って対策案を作り、何とか特許査定に持って行ったとしても、できる限り限定せずに引例との差別化を図れた素晴らしさを素人に伝えられるのか?が疑問なのだ(しかもこういう場合、ギリギリ攻めた補正をしているので、特許査定になりにくい場合も多い)。

素晴らしさをOA対策案を送付した時点で顧客に理解してもらえないとすれば、権利範囲が十分に広かったおかげで侵害訴訟の場で勝訴したということが起きない限り、サービスの素晴らしさは伝わらないという哀しさを持ち合わせた仕事でもあるようにも思える。これを防ぐためにも顧客には舌を肥えててもらう必要があるのだ。

顧客と打合せ→起案→出願→OA対応→特許査定(ここまで数年)→更に数年後に侵害訴訟→勝訴

という途方もなく長い月日が経ってから「素晴らしい!」と理解されるのであれば、遠すぎて意味が薄い。努力が購買意欲(リピーター)に繋がりにくいという意味である。ここがラーメン屋と全然違うところだ。仕事をしていて、この捻じれをどういう形であるかはわからないが解消しない限り、手を抜いた方が勝ちという論理がまかり通ってしまうよなと思うのである。

顧客に確固たる判断基準がない場合、何か深いことはよくわからんけど、早急に対応してくれて特許査定にしてくれる弁理士の方が助かる!みたいな不可解な基準で判断されることになるのだ。まだ私には解決策がわからない。

サービス業に従事する人はサービスを受けた方がいい

介護士、塾講師、医師、弁理士、マッサージ師、レストランのホール、これらは全てサービス業である。こういう仕事に従事する人間って、良いサービスを提供した方が良いということを心で理解するために、自身も良いサービスを受けた方が良いような気がする。「サービスってこういうことか!ええやん。通おう」と自然と思う気持ちにさせるのがサービスな気がするし、それを自分自身が感じないと「サービスを提供する」ということにピンと来ないような気がするのだ。

近くのうどん屋さんで何となく私のことを覚えてくれてる店員さんがいて、目くばせで注文を理解してもらえるようになった店がある。目くばせで注文するのは私が常連面をしているわけじゃなくて、めちゃくちゃ混んでるときにいちいち注文内容を説明するよりも「あっ、いつもので!」という感じの方がお互いスムーズなのだ。多分、その店員さんは私のことだけを覚えているわけじゃなくて、よく行く客のことを何となく覚えてくれるのだと思う。これがサービスである。

最近あまりその店に行かなくなったのだが、久しぶりに混んでいないときに訪れることがあった。その時に「久々ですよね~」と声を掛けられて、あ~やっぱ憶えてくれてるんだなと少し嬉しくなった。たまに通うか~という気持ちにさせるというまさにこれがサービスだと思う。

優しくされる経験があると他人に優しくなるし、逆も然りというのはあながち間違っていないような気がする。つまり、サービス業に従事する弁理士はサービスって何や?を理解することは結構大事なのだ。

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