僕はバリウムを飲んでおっさんになった

20代の頃、おじさんやおばさんがバリウムを飲んでる話を聞いて(あ~非常におっさんだし、非常におばさんだな)と内心思っていた。しかし、私にもとうとうこの日がやってきた。朝、健康診断に向かう途中、電車の中でずっと考えていた。
たまたま電車の座席に座っていると、両隣に女子高生が座ってきた。「そうか、XX年もこの子たちと年齢が違うのか。わしゃ遺物だな」と思っていた。女子高生は単位円を書いて三角関数の合成をしていた。その横で僕はカリカリ問診票を書いていた。「バリウムって非常におっさんだな」と思った。
病院について女医さんに、「今日はバリウム検査ですね。初めてですか」と訊かれたので、挙動不審になりながら「は、は、初めてで、その、気持ち悪くなったりとか、そういうのは、その…」「大丈夫ですよ(^^)」
丁寧に優しく教えてくださった。最後に「何かご不安な点があったら何でも聞いてくださいね」と言われたので念のため聞いておいた。
「来月の民法はどうすれば受かりますかね」
いよいよバリウムを飲む
僕は腹をくくった。ロクに運動もせず、ハイボールばかり飲んだせいでふくよかになりかけている腹に渾身の力を込めた。主(あるじ)の意に反して全く固くならないうだつの上がらない腹だなとそこはかとなく憤りを覚えた。
「ニシジマさん~」
呼ばれた。
出房。
これで僕はもう終わりだ。
「お父さん、お母さん、僕は2人のもとに生まれて幸せでした。育ててくれてありがとう」
親にLINEをして検査室に入った。
「えーっと、ニシジマさんはバリウムは初めてですかな?」
眼鏡をかけた初老に問われる。
「そ・・・そうです。初めてです」
何ら恥じることはない。バリウムは初めてなのだ。別にカッコつけなくたっていい。ただ・・・願わくば初めてなので優しくしてほしい。よくよく考えてみれば、30余年の短い人生ではあったが、ここまで生きるともう多くは経験しているのだ。受験勉強もした。家族旅行も行った。一人旅で色んなところに出かけた。大学でサークルやバイトに勤しんだ。彼女もいたし、もう思い残すことはない。この世でできる大抵のことはもうしてしまった。
・・・と思っていたが、バリウムを飲むのは人生初なのだ。
あるじゃないか!!!まだ人生初が!!そう考えるとおのずとバリウムを飲みたくなってきた。
「先生・・・!僕、バリウム飲みます!!」
「はあ・・・」
「ゴクゴクゴクッ」
白いセメントを練った懸濁液を胃に流し込む。まるで古代ギリシャの石膏像になった気分である。こっ・・・これか!!!大人の味というのは!?
まさにセメントである。他に例えるとすれば白いチョークを溶かした液体である。ただ、チョークはCaCO3(炭酸カルシウム)からなる化合物であり、2価のカチオンと2価のアニオンからなる強烈なクーロン力で結ばれたイオン結晶であるので、簡単には水には溶けないが(いや、それはBaSO4(バリウム)も同じであるが)。液体というより、懸濁液(=コロイド)というイメージである。化学の話になってごめん。スムージーみたいなもんである。
「発泡剤も一緒に飲んでくださいね」
(パクパクパク)
!!?!?!?!?!?!?むちゃくちゃシュワシュワする。
「先生、シュワシュワします!!!」
「発泡剤ですから」
僕は発泡剤と白いセメントを胃に流し込んで、グルグル回るアトラクションみたいな機械の上に乗った。
「はい、回ってください。げっぷはしないで下さいね」
「は・・・はい・・・(うぅぅぅぅ・・・)」
機械の上でゴロゴロ回る。ゴロゴロ回ることにより胃の壁に満遍なくバリウムをくっつけるそうだ。回れば回るほどさっきのシュワシュワが押し寄せてくるし、めちゃくちゃ気持ち悪い。
「では、写真を撮ります」
「ふ・・・ふぁい・・・」
カシャンーーーーーー
発泡剤を3回ほど飲まされ、大量のバリウムを飲まされ、最後にお土産(下剤)を持たされた。
「これがバリウムなのか・・・」
僕は下剤で漏れそうになりながら初めて彼女ができたときのことを思い出した。もっともあの日は下剤は渡されなかったが。
「なーんだ、ビビってたけど、バリウムなんて大したことないじゃん~」
病院の自動ドアのガラスに映った僕は、来院したときより幾分かたくましく見えた。僕は梅田の街を小走りで駆けた。その足取りは、下剤を渡された人間とは思えないほど力強かった。
否、漏れそうである。


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