挑戦しないと自尊心が肥大化してしまう。「万能感という落とし穴」から抜け出すために。

弁理士試験

挑戦しないと自尊心が肥大化してしまう。

現状の自分に満足してできることをこなしていく日々を送っていると、まあ生活は回るから万能感が出てくると思うんです。仕事もきちんと回せる。でも、それってやれることをやってるだけだと思います。

例えば、学校や塾の先生が生徒に「こんな問題も解けないのか。」と発言することがあります。発破を掛けて、あえて言ってる場面もあるかもしれませんが、多くは教師の自尊心の肥大化による、万能感によるものだと思います。何年も何十年もその科目に携わって教えてたら、そりゃあちょっと教えるくらいできるようになりますから。相手は初めて習う人で、10教科とか勉強していて、しかもまだ10代とかで勉強法を確立できていない相手ですから。

人は失敗したとき(努力したのに叶わなかったとき)に「苦しい」という気持ちになります。その「苦しい」気持ちによって自己否定することで、過大評価をせず、正確に自分を評価できるようになるような気がします。そして、うまくいかない人(便宜上、「弱者」と表現する)の気持ちも、当事者となって「苦しい」という痛みの感情を味わうことによりちゃんと理解できるのだと思います。

例えば、就活で100社受けたけど全部落ちて鬱になったというニュースを聴くと、何にも挑戦してないときは「企業分析を十分にしてないからだ。」とか「良い大学に行かなかったあなたが悪い。」とか個人を責めます。しかし、実際はその人にもそれなりの事情があったり、頑張りきれなかった理由があるんだと思います。挑戦して失敗して、苦い思いを当事者としてちゃんと味わって、「万能感という落とし穴」から解放されるのだと思うのです。

だから、定期的に、自分にできるかできないか、頑張ればできるかもしれないくらいのラインの物事に挑戦することは大事だと思います。自分よりも少し高いレベルの物事、人と対峙することで「負ける」ことが他人を理解するための優しさを培うような気がします。

私は弁理士試験の勉強や、転職活動を通じて挑戦することができました。芳しくない結果が返ってくることも多々ありました。そういう経験を通じて、やる前は意味のない万能感で「できるやろ?」と思っていた過大評価が、ちゃんとへし折られることで「無理かもしれない。」「自分はダメかもしれない。」「今働けてるのは自分の能力が十分にあるからじゃない。」そんな風に適切な理解ができるようになる気がします。

でも、こういった挑戦をせずに日々できる仕事をできる範囲でやってると(楽なのですが)、万能感の穴に落ちてしまうのです。そして、「できない人」に対して「努力不足だ。」と簡単に断罪してしまうのです。でも、できない人にはできない人なりの事情があります。それは努力の仕方がわからなかったり、努力をして山を登ったときに得られる感覚を知らなかったり、経済的問題、人間関係の問題、または健康面の問題で努力することができなかったり。そういうことを見ずに、うまくいっていない結果だけを切り取って「努力不足だ。」というのは他者を理解しようとするプロセスを放棄してるし、あまりに冷たいです。

私は小さい頃、周りの友人より勉強ができました。でも、本当に一番賢い人たちにはどうしても敵いませんでした。努力は自分なりに最大限してたと思います。それでも彼らにどう足掻いても追いつかなくて苦い思いをしました。当時、塾に行くのが苦痛で苦痛で仕方なかったことをしっかり覚えてます。しかし、同時に、勉強を通じて色んなことを知るきっかけになったし、賢くもなりました。

そういう苦しい経験が、他人の失敗に対して厳しくなる方向に向くこともあります。「努力不足だ。」と断罪することです。これは自分の苦しかった経験が悪い意味で「自負」になっちゃっているのだと思います。逆にそういう苦しい経験を通じて、「自分よりできない人も、その人の中での最大限頑張ったけど上手くいかなかったのかもしれない。そして、その状況は辛いだろうな。」という他人の気持ちを想像する力になることもあると思うのです。

「成長したい!」って人はよく言いますが、色んな景色を見ることもそうですし、視座が高くなることもそうですが、こうやって失敗経験をすることで「痛い!」という経験をし、他者を理解する力を育むためかもしれません。知らんけど。だから、才能で乗り切りまくってトップを悠々自適に走り続けた人は挫折感がなくて、おじさんになってから不祥事を起こしてしまうのかもしれない。これまた知らんけど。

変化が訪れるのが怖い

「変化が訪れるのが怖い。」という感覚は昔から割と強くあるタイプで、怖いっていうか不安なんですよね。「(色んな意味で)うまくやっていけるんかな?」みたいな。一番は能力の問題で。でもまあ、みんなもやれてるし、自分にもできるはずだと信じてやってみるしかないですよね。考え込みだすと不安になって、鬱っぽくなります。実際、昔、うちの会社から転職していった同僚が転職前の休暇に入るときに「もう最近ずっと一日鬱っぽくて寝込んでるんです。」って言ってました。そういうもんなんだろうな~と思いながら、頑張れ~。と思っていたのですが、いざ当事者になると同じように鬱っぽくなりますね。いけるんかな?って。いや、でもいけるんですけどね(大体のことは。自己評価高くて「弁理士試験なんて受かるやろ~笑」と何の根拠もなく思う反面、こういうところもある)。

弁理士試験の挑戦も未だ半ばですが、結果(論文合格)が出そろいだして、もう8合目くらいに来た感じはします。勉強を始めた当初に、もし周囲に言ったり、また、自身の経歴に基づいて弁理士試験の挑戦について冷静に考えてしまっていたら「やめとけ。」になるんでしょうけど、最終的には何というか、「ノリ」と「気概」みたいなところで全てやっていけるような感じはします。

「東大卒の方でも9割以上落ちてますよ。」なんて言われたら、「ああ~やっぱ流石に壁が高すぎるか…。」とかって思っちゃいそうですが、2021年くらいの私は「まあいけるやろ。この試験は自分なら受かると思う。」って、何の根拠もなく、法律の勉強なんて1秒もしたことがないくせに思ってました(なかなか自己評価が高い)。実際蓋を開けると「まあいけるやろ。」ほど簡単なものではありませんでしたが、「ま…あ………………い…け…る……の…か?」くらいではあるかなって感じでした。そこにはそれ相応の気概が必要ですし、何より、初め半分の「ノリ」という要素がすごく関わってきます。

せっかく今の現状に大きな不満はないのに。

今の仕事をしていて正直なところ大きな不満はありません。周りの方もすごく良くしてくれますし、気さくに話しかけてくれます。上司にも良くしてもらってますし、パートのおじさんや、おばさんとも仲良くしています。全くオチのない近況報告も聴いてもらって、「頑張りや~。」って言ってもらいます。仕事はまあそれなりに大変なときもありますが、比較的自由なところが多いので、特段の不満はないです。不満はないは言いすぎたな。

だから、わざわざコンフォートゾーンから抜けて、上手くやっていけるかどうかわからない場所に行こうとしている今の自分の行動と自分の心が釣り合わないのです。でも、じゃあこのコンフォートゾーンに一生居続けて、私は何に向かっているのか?という漠然な疑問というか、そんなのに襲われます。定年退職の日に「お疲れさまでした~。」って言われて、「うぃ~っす。」って今座っている椅子から立ち上がるその日をひたすら数えるために会社にいるようなそんな感覚がします。せっかく生まれてきたのに!!!人生って生き始めて視界がパッと開けた瞬間から、死ぬときに視界が真っ暗になるまでしかないのにね。

だから、「こんなんじゃダメやな。もっと挑戦して、色んな景色を見てみる。それで色んなことを感じて、自分の好きとか嫌いをもっと知りたいな。」と思いました。

最近の勉強状況

とりあえず、Xなどでお伝えした通り、現状、必須論文までは受かっていて、残すところ、選択論文と口述になりました。選択論文は昨年度は有機化学を取ってましたが、諸事情に鑑み、民法を選択することにしました。なので、今現在している勉強は「民法、応用情報、口述試験対策」ということになります。応用情報は今年度の選択免除には使えないのですが、ラストイヤー来年度の選択免除用に勉強をしています。…と言いたいところなんですが、もう本当に諸般の事情により、というか、無理があるやろ。やること多すぎるねん!!上で書いたけど、仕事しながら弁理士試験の勉強やって転職活動やぞ?無理やろT_T 転職活動も履歴書、封筒、切手を買うところから始まってエントリー出して、夜な夜な直筆で「頑張ります!」って書いて笑 いやもう既に結構人生頑張ってるわ!!!T_T

ということで、応用情報切ります。その代わり、民法ガチります。てか、民法やっといたら付記試験にも使えるしね。まあいいんじゃない?

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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