3億円当たったら弁理士試験の勉強止めるか?
んなもん、秒でやめるわw なーーーにが熱情やw 明日が短答試験でもやめますわ。って思ったけど、多分、明日が短答試験なら短答試験だけ合格しておいて、短答試験合格しました!という盾を背負って今後50年くらい生きます。どうも、ニシジマです。
そりゃあ止めるでしょ。だって3億円でしょ?500万で割ったら60年続くじゃないですか。手取り500万円が60年続くならもう働く意味なんて失われますよ。働かないわけじゃないかもしれませんが…暇つぶしと脳トレ気分で模試でも作って南国でフラフラします。
いいっすよね。何がやりたいやろうな。3億円あったら。まずもって弁理士にはならへんやろうなあ。これはガチ。弁理士はすごいと思うし、かっこいいと思うけど、無償でもやりたいことかと言われたらそれはちゃうわ。無償ではやれへん。しんどすぎるもん。
ってなると熱情はどこに向くかな?と思ったらやっぱり、旅と音楽あたりかなあ。
旅で言えば、世界中を旅したいし、その旅をより楽しくするために英語学習はすると思う。音楽も好きでやってるから、多分ピアノとギターとか習いだしてバンドでも組むんとちゃうかな。そんな感じで好き勝手に生きそう。そして、たまに模試作ります。ボケ防止で。
短答試験直前期
直前期、真っ只中入ってきました。もう仏門に入りかけてます。修羅道です。弁理士試験。じんましんが出るとか体調崩すとか色々聞くけど、ニシジマはtwitterで呟いた通り、
目の痙攣・常に頭が疲れて動かない・酷い肩こり・悪夢(性的な夢・暴力的な夢・追われる系など)って感じです。今しか感じられないことを噛みしめながら十分この苦渋を味わって勉強しようかなと思ってます。この苦渋を味わうのって今しかできないし、もう一回これを味わおうと思ったらまた一から何かに取り組んで苦しい思いをして途中まで飽き飽きするまで上り詰めないといけないからね。だからこの苦い味わいは結構大事なのよ。人生のスパイスとして。なかなか味わえないから。
そんな感じで苦しいな…しんどいな…独りやな…ということをひたすら噛みしめて生きてます。そういえば大学受験の時も(あの頃は浪人友達がいたけど)、同じような感覚がありました。何かを追いかけるって孤独なんですよね。何かを本気で追いかけるというのは、それ以外を全部切り捨てて完全にベットするということで、これまたしんどい。日常生活でしないといけない色んな事(振込・掃除・ご飯)も、恋愛も、仕事も。とにかく色んなことを完全に後回しにしてしまって全部切り捨てて向かい合わないと凡人にはムリ。その覚悟をするのがちょっとしんどい。飲んで救われたい。
ちゃんとメモを取っていたわけじゃないけど、概算で弁理士試験に4000時間弱の時間を費やしてきました。本当に難しいよね。難しいから価値があるのだけど。日本人全員が受けたらきっと99.9%の人は受からないような試験よね。そんな試験。大げさじゃなくて。
ゴロゴロが一生続くと不幸せになる不思議
こんなに勉強してるけど、根本的なところではめちゃくちゃ怠惰だし、ダラダラしてるのがすごく好き。だからいつまでもダラダラしてられるんだけど、毎日仕事に追われる中で、ダラダラして何もしない休日。幸せよね。
1日目ダラダラ。幸せ。2日目ダラダラ。幸せ。3日目…4日目…5日目。
人間って不思議なもんで、ダラダラしたい!何もしたくない!っていう欲求に駆られまくって易きに流れるようになってるんやけど、流れ続けると、「あれ?_何に向かってるんや?」「あれ?年を老うのをただ待ってるだけなのでは?」という感覚に襲われる。この先何があるのだろう?って。そして、1週間、2週間って過ぎたあたりで、「あれ?幸せ?」ってなる。だから何かに向かいたくなる。というのが私の何かにコツコツ向き合う根源みたいなもの。
不思議よね。人生って。人間は易きに流れるから、受動的に生きるのが楽なんだけど長く続くとつまらなくなる。能動的に生きるとしんどいんだけどちょっとずつおもしろくなる。youtubeを見てる側とクリエイター側の違いと同じかもしれない。
過去があって今がある
過去があって今がある。学歴って大事だよね。って話を先日ブログでしたんだけど、要するにあれはまあ学歴じゃなくても何でもそうなんだけど、過去の積み重ねの上に今があるよねって話で。別に学歴に限らず、何か取り組んできたものってあって、例えば習い事でもいいし、例えば部活でもいいし。
何か真剣に取り組んできた数だけその人の人生教訓みたいなものが生まれるし、それを礎に今後も生きようとする。それから、積み重ねたもの(例えばわかりやすく学歴)があるから、今の職場で働けてるし、仕事に限らず、今まで積み重ねた過去があるから、今周りにいる人がいる。そんな感じ。
でも、自分では過去の努力の恩恵で今を生きているという感覚はどんどん薄れちゃって、学歴なんて関係ない。って言っちゃう。この考え方は半分正しくて半分正しくない。あんまり過去にしがみついて、それだけで生きてるとそこから何も生まれないんだけど、一方で、過去を完全に切り捨てて、今・今・今って生きてる気がしてるけど、実際のところ、過去の自分が頑張った恩恵にだいぶあやかって生きてる側面もある。
端的に言えば、中卒だったら今があるか?と言われたら、はっきり言ってそんな才はないよねっていう。だから、過去の努力のおかげで得た”トロフィー”の追い風もありつつ、今があると。それも半分は認めることで、今新たな”トロフィー”を取る価値も見いだせるのではないか?と思うわけであるわけであるわけである。わけである。
過去の”トロフィー”をなきものとして、どんどん前に進む姿勢はかっこいいし、逆に過去のトロフィーをいつまでも愛でて生きてるのはダサい。だけど、あまりに過去の”トロフィー”をなきものとしてしまう姿勢で生きてると、私みたいな弱い人間は”トロフィー”を取る意味合いを思い出せなくなってしまうのであるわけでありまして。
何が言いたいかと言うと、弁理士になれたら、もっと面白い世界が見れるんじゃないか?と期待することで弁理士試験の受験生時代を何とか前に進められるのではないかと思うという話。
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