人間は原子という最小単位の粒子でできている
どうもニシジマです。ぼーっと生活してると誰かに話すほどでもないし、どうせ話したって誰にも伝わらんわという話の一つや二つありませんか。それが今日の話。
「自分と全く同じ人間を科学的に作ったら、その人間は自分が昨日食べたハンバーグを思い出せるか」という話。
これって、私が自発的に思いついたのかそれともどこかの本で関連する話を読んだりして妄想したのか定かじゃないんだけど、昔からよく思う話なんですよね。与太話です。
要するに、人間ってバラバラに分解すれば原子っていう粒子からできてるけど、寸分違わず全く同じように原子を結合させて組み立てたら全く同じ人間ができるじゃないですか。その”レゴブロック人間”は果たして”本物の自分”と同じ自我・意識があって、実際には経験していなくとも例えば親は誰々で、高校時代に一番仲の良かった友人と昼下がりに行ったラーメン屋のこととかそういうことを”思い出せるのかな?”とそんなことを想像するんですよね。
5chの掲示板とかでよく彼女を作れないから、俺彼女を造るわ。みたいなことを言ってる人いるじゃないですか。あれと同じイメージです。人間ってまあ色々な元素からできていて、主にはタンパク質と水等じゃないですか。で、タンパク質は分解するとアミノ酸で、アミノ酸は分解するとHとCとNとOじゃないですか。つまり、人間の身体を完全に分解すると単純な原子からできているに過ぎなくて、私たちはそれの集合体でしかないんですよね。
意味のない無機的な元素の集合体がどのくらい結合し合って集まったらかわからないけど、一定量集まった時に”自我”が芽生えて、自分を意識する生き物になるんだと思うんですよね。で、話を戻すけど、生き物は皆単にHとかNとかCとかの集合体でしかないのなら、私の身体と寸分違わず同じように結合させると、実質的に全く同じ私(=レゴブロック人間)が生まれるんです。
科学的に言うとこのレゴブロック人間と本物の私は寸分違わず同じ人間なんですよね。だから、全く同じ性質をもつし、全く同じ記憶も持ってると言える。でも、レゴブロック人間は人為的に作り上げたいわば”化合物”に過ぎないから実際には何の経験もしてないんです。
でも、あたかも経験したかのように本物の私と同じ知識を持っていて、本物の私と同じ記憶を持っている。だから、本物の私が昨日食べたハンバーグも食べてないのに思い出せる。そういう理屈です。
逆に思い出せないとしたら、なぜ寸分違わず同じレゴブロック人間は思い出せないのに、本物の人間は思い出せるのでしょうか。
レゴブロック人間は昨日食べたハンバーグを思い出せると思いますか?私個人の意見としては多分だけど「思い出せない。」と思うんです。何かそんな気がするんですよね。
で、もし思い出せないのだとしたら、自我とか記憶とかってどういうところにあるんだろう?って思ったりするんですよ。毎朝起きたときに「自分だな~。」なんて疑いもしないけど、ちゃんと自分だと認識してる。それって脳みそで記憶してるんだろうけど、もし脳みそで記憶してるんなら、寸分違わず(以下略)。
どう思いますか?もし思い出せないとして、思い出せないのならば自我とか記憶ってどういう仕組みでどこに保存されてると思いますか。
こういうことって思いつくんだけど、答えは知らないし、そもそも取り合ってくれる人もいないので独りで色々妄想に耽って色々考えたりしてしまうんですよね。さっきも言ったけど、5chの「彼女を造る」という表現を見たりするとどんどん妄想が膨れ上がってこんなことを考えちゃうんですよね。
多分ずっとなんで?なんで?なんで?って子供みたいに疑問ばっかり持っちゃうんでしょうね笑化学科ならではの発想なのかもしれません。生物科だとまた違う考え方とか生まれるのかな。こういうのって自然科学なのか哲学なのか曖昧だけどダラダラ話すのおもろいですよね。
コメント