あらすじ
主人公の瀬川丑松が自分の出自が被差別部落であることを隠しながら小学校教諭を勤めることに葛藤する。幼少期の頃から瀬川は父に「絶対に自分が被差別部落出身であることは言ってはいけない。」という”戒め”を受けていた。教諭になり、父の戒めを守りながら平穏な生活を送るが、ある日、学校内で瀬川が被差別部落出身であるという噂が流れる。そして、ついに瀬川は父からの”戒め”を”破”る。
人生ずっと抱えていたものをカミングアウトをする感情を描いた作品。
感想
言ってしまいたい、楽になりたい。
主人公の瀬川の気持ちに完全になることは不可能だけど、全く抱える由もない”生まれ”という逃れられない業を抱えてしまって、「言ってしまいたい。言って楽になりたい。」みたいな感情がやっぱりあるんじゃないかなと思った。
被差別部落だけじゃなくて、例えばLGBTとかアパルトヘイトとかもそうで、生まれつきの背負う必要がないのに社会に背負わされているマイノリティって存在している。それを打ち明けることで世間が引いていく怖さがどうしてもある。私たちはどう足掻いても世間の中で生きる生き物で、だから私たちのことを、人と人の間と書いて、人”間”(にんげん)という。
世間から爪弾きにされても生きていけるほど人は強くない。だから、周りに普通に正常に受け入れられて生きていく選択しか選べない。
瀬川は自分の出自を言うことで、世間に受け入れてもらえなくなる不安と、それとは逆に、自分も普通に認められて生きたい、生まれたときから抱えていた社会に背負わされた業を誰かに話して楽になりたいという感情で揺れ動くところは非常に考えさせられる。
自分は違うけど、共感はします。という自己矛盾
自身が被差別部落出身であることを公表し、差別をなくそうと活動をしている猪子蓮太郎と、瀬川が出会って話をする場面も非常に深い。猪子蓮太郎が出自を明かして活動をする姿が瀬川にとってはある種のヒーロー(理想的な自分像)のように思えるんだけど、自分も”そう”であるとは言い出せない。だから、猪子との会話もどことなく『自分は違うけれど』共感はします。という枕詞がつくような会話をする。
これも難しい。安易に片づけたら「ずるいスタンス」の一言で終わるんだけど、瀬川の態度は生まれたときから植え付けられたトラウマからくるもので、相手が猪子であるとは言え、簡単に伝えられない。一本筋を通して生きていけるほど世の中は甘くないし、人間一人の心なんて脆い。
椿姫彩菜の自伝にもあった一節を思い出した。彩菜さんが人生で初めてニューハーフバーで働くようになった時の話で、働いてる先輩のニューハーフの方々は椿姫さんに優しく接してたんよね。そこで椿姫さんが思ったのが、初めて人に受け入れられたという自分と、ニューハーフと同じくくりにされたくないという気持ち。この卑しい気持ちを持ちながら、それを見通しても尚、先輩のニューハーフたちが優しくしてくれて自分が嫌になったという趣旨が書かれていた。
こういう感情って誰でもどこかで出会ったことあるよな。いじめは良くないとしつつも、傍観している自分に嫌気がさすみたいな、自己矛盾と苦悩。
受け入れられるって難しいし、すごく大事なことなんよね。最近読んだ、母という呪縛/娘という牢獄 斎藤彩もそうだけど。
あとがき
今日図書館でなんとなく漫画を借りて読んだあと、映画も観て読書レビューを書いてみた。原作小説を読まずに感想文かよ!って感じだけど、原作もAmazonで購入済み。また、来週でも読みます。学生時代は伊坂幸太郎とか東野圭吾とか森見登美彦とか超売れてるベタなところばかり読んでいた。22、23くらいから働き出して作り話よりも事実を知りたいと思って小説以外の本をよく読むようになったけど、やっぱり小説を楽しむ時間というのもそれはそれで大事な気がする今日この頃。そこで、純文学に手を出してみた。
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