短答ダメだったらやめるかもしれない。【不退転の覚悟と撤退する覚悟】

今年の短答でダメだったらやめるかもしれない

どうもニシジマです。不退転の覚悟と撤退する覚悟。どっちがカッコいいですかね。弁理士試験の勉強をし始めてなんだかんだ1年半以上の月日が経ちました。始めた当時は1年で受かってやるぞ!なんて思ってたんだけど、とんでもない。そんなのは無理って感じの試験で、とにかく覚えることが多いしややこしい。実際、条文を読んでいてもしっくりこなかったりするところも多々ある。

そんな中で、ふと「いつまでこれするんやろ?」という疑念が湧いてきた。仕事から帰ってきて3時間。休みの日は図書館に行って法律の勉強。んー。正直言って一挙手一投足、毎秒面白い!って思える能動的な勉強じゃない。どちらかというと受験勉強みたいな感じで”強いられて”やっている勉強に近い。誰に何に強いられてるんだ?この歳になってって感じなんだけど、自分でもよくわからない。強迫観念に近い。20代の終わりに「何者かにならねば!」みたいな強迫観念がこういう行動を起こさせたように思う。

そうしてなんだかんだ月日が経って、考えることも変わってきたし、幸せの形も変わってきた。自分にとっての幸せって何だろうなと思い返したりしてしまう。これは弁理士試験からの逃げ口上なんだろうか…。まあそもそもで、苦境に立たされた時に1億個くらい都合の良い言い訳が思いついてしまうのが人間なんだけれど。

大学受験と弁理士試験の大きな違いは、やらないといけないか、やらなくてもいいかだ。大学受験も極論やらなくても良いけど、そうなると生きる指標とか骨組みがかなり失われる。だから、18歳の諸君は躍起になって勉強する。でも、弁理士にはならなくてもまあ一応生きてはいけるというぬるいセーフティーネットみたいなものが存在する。背水の陣に追い込まれないと人間は変われないことを痛感する。

そして、最近ずっと勉強していて思うのが、まあ弁理士試験というのは要するに暗記ゲーなんだけど、この興味の薄い暗記ゲーを攻略するべきか否かということ。登った時の達成感はすごいし、超難関資格と言っていいくらいのものだと思うので、それなりに自信も箔もつくと思う。でも例えば10年かけて取るみたいな資格ではないと思うわけで。大体、職業とか仕事なんてものは人生においては2番手・3番手のもので、人生や幸福の追求においてはサブ的なものだというのが自分の認識。そのサブ的なものにどこまで労力をかけるか?という話になってくる。

この高い山を越えた人にしか見えない景色もあるだろうし、ふもとからいくら叫んでも負け犬の遠吠えになるわけだけど、そんな風に思う。でもまがいなりに1年半やってきたのも事実だし、解ける問題も増えてきたのも事実。記憶していることもたくさんあることもこれまた事実。今日までで2000時間は勉強してきたと思う。2000時間もかけると相当量の知識が蓄積される。2000時間のわりには薄いかもしれないけど、自分的にはあと半年で短答合格するか否か結構良い線にもっていけるのでは?という算段だ(甘いかもしれないが)。

とにもかくにもそんな感じで毎日ブーブー文句を言いながら勉強している。今年、短答受ける方々はともに頑張りましょう。私も今年短答突破は本気で考えているので。

もしダメだったら…

今のうちからもしダメだったら…なんて考えるなよ。と思うかもしれないが、勉強すればするほど、「徒労に終わるのではないか?」という恐怖にさいなまれる。恐怖というと大げさだけど、「ああ今やってることって受からない限り1mmも意味がないんだな。」と思う。本当のことをいうと1mmも意味がないというのは大げさだし、弁理士試験の勉強を通して改めて気づけたこともたくさんある。

やっぱり人間そこそこ”ガチ”で腰を据えて取り組んだことからしか教訓は学べないなというのが一番の得た認識・事実かもしれない。それから、これは何度も言ってるけど、わしゃあんまり頭がよろしくないなと。それもよくよく痛いくらいに気づく。努力も中途半端だしね。

自嘲気味っぽく聞こえるし、自暴自棄っぽく聞こえるかもだけど、そんな風に冷静に思う。だから人一倍努力して合格を手に入れないといけないなということもよーくわかる。でも、今年短答にさえ受からなかったらそろそろ潮時というか心が追い付かなくなるかもというのが現実的なところだ。

大人になってからはどんどん「苦痛を伴うならば常に楽しい状況でありたい。」と思うようになった。我慢弱くなったのかもしれないし、朝三暮四になってるのかもしれない。わからんけど、とにかく、苦痛を伴っても良いんだけど、伴う以上は対価が欲しいし、できれば毎秒対価を支払ってほしいとおもうようになった。

小さい頃はゲームボーイでポケモンをやったりして、無限に同じ繰り返しをして自分のポケモンを強くすることに躍起になっていた。あれは過程の苦痛さを度外視して、結果の果実を取りに行くスーパー臥薪嘗胆くんになれていた証拠。あれが今はもうできない。常に面白くあってほしい。そうでないと続かない。そんな感じ。心が弱ってしまったのかもしれない。RPGはもう無理だなとつくづく思う。スマブラとかはまだできるけど。

小説も読めなくなった。これも社会人になってからの変化だ。歳をとればとるほど効率を考えたり、無駄を省いたりしたくなるらしい。そんな感じで、とにかく心が年を取ってしまったせいか(ってお前何歳やねん!って感じですが笑)、我慢弱くなってきている気がする。

弁理士試験の短答突破はもちろんだけど、もしダメだったとしても何かしらの勉強は続けます。学んでいくことで広がる世界というのも知っているので。それでは。

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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