涙活のススメ
どうも、ニシジマです。お疲れ様です。涙活。やってますか。感情を吐き出して泣くことです。感情って普段蓋をしてしまってるから泣けないんだけど、蓋をし過ぎていると開け方がわからなくなって、哀しいのか何なのかわからなくなる。
一番しんどいときは理由がわからないのに涙が止まらなくなることがある。直近で何か大きな嫌なことがあったとかそういうことじゃなくて、意味も分からず涙が止まらなくなる。だいぶ危険信号だなと思うんだけど、こういうタイミングで気が済むまで泣き切ることは結構大事。
『泥酔×独りでいる時×ストレス』が重なり合うとバズる。バズってしまう。まあ滅多にないのだけど。
知らない人に話す大切さ
知人・友人・家族に話せないけど、知らない人に話せるということは結構ある。例えば身の上話みたいな。本当の親友ならいざ知らず、ただの友人くらいだったら身の上話なんてそう簡単にはできない。結局、笑い話にくさして終わりみたいなところが関の山。
それは場の空気を壊したくないし、重く思われたくないってところからくるんだけど、知らない人なら話しても今後関係はいつでも失くせるし、知らない人なら向こうだって気を遣いすぎない。ただもちろん、他人のしんどい話を聴くというのはそれ相応のしんどさもあるし、短絡的な人は解決策を喋って終わってしまう。女っぽいけど、解決策なんて端からある程度分かっていて、単に寄り添ってほしい、自分の気持ちはこうなんだとただ静かに聴いて欲しいだけで。
私自身、『聴く力』ってなかなか持ち合わせてないけど、『聴く力』を持ってる人はすごいと思う。解決策を言うことなんて誰にでもできるし、何なら本人が一番よく分かってる。
知らない人に何を話すの?と思うかもしれないけど、普段の日常生活、してる仕事とかの話を4~5分ダラダラ喋ってると本当に話したいことがぶわ~って出てくる。自分でもこういうことが潜在的に苦しいと感じてたんだな。という出来事とか気持ちに気づくこともある。できれば音声のみの電話がちょうど良い。
結局、今回は2時間で13000円も課金したんだけど、心も身体と同じように風邪を引くので適切な必要な治療費だと思う。
最期だと思って会うことの方が少ない
最期だと思って会うことの方が少ない。彼女も同僚も友人も親も、「思い返せばあれが最期だったか。」と思うことの方がきっと多い。というか、何なら90%以上の今生の別れはそうだと思う。
ちゃんとした別れ話をしてきっぱり別れるとか、卒業式とかそういうことじゃない限り、何となく「ほな、また!」が最期になることの方が多い。
だから、今日やらんと後悔する。明日なんてないかもしれないから。伝えるべきことは今日伝える。明日なんてないかもしれないから。感謝もそうだし、謝罪もそうだし。
それから、ちゃんと目を見て直接言葉にして伝える。それで私は不満に思ったのだから。
過去は変えられない。全部今から。
伝えるべきことは今日伝える。でもそれと相反して、言ってしまった言葉・してしまった行動は元に戻らない。過去は変えられない。変えられないのは頭でわかってるのに後悔するから執着する。意味のないもしもに囚われる。
囚われるのは仕方ないけど、「自分は今囚われてるな。」と静かに客観視をして受け入れる。気持ちは自発的なもので消そうとして消せるものじゃない。蓋をしていても見えなくなっただけでちゃんとその感情は残ってしまってる。悲しい気持ちや辛い気持ちは消えるまで”現実”と共にじっと静かに受け入れて薄れるのを待つのみ。
考えてることは端々に出る
他人の心は分からない。分からないけど、その人の発言や態度の端々に現れる。みんな生きてる中で取り繕って生きている。
楽しくなくても、「楽しい。」というし、嬉しくなくても、「嬉しい。」という。
円滑に社会生活を送る上で、他人と上手なコミュニケーションを取る上で本音と建前を使い分けることはすごく大事。だから、その人の発言や態度の大枠を見ていてもその人が何を考えてるかは実際はわからない。そうじゃなくて、端々に現れる姿勢こそ実は全てだったりする。
「楽しい。」という言葉を鵜呑みにするんじゃなくて、その裏側の本音である、主体性の有無とか。きっとそういうことなんだと思う。
コメント