マレーシア旅行に行ってきた
どうもニシジマです。お疲れ様です。マレーシアから無事帰ってきました。端的に言うとめっちゃ疲れた。楽しかったけど、着いて3日目の朝くらいに「嗚呼、日本に帰りたい…。」と阿倍仲麻呂ばりに思っていました。
天の川 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
とにかくきつかった。久々に何もかもが普段とは違う空間に放り出されるというのは新鮮ではあるんだけど、それ以上に疲れるというのが勝ったのが今回の旅行。まあ、東南アジア色んな国に行ったからバックパック旅に小慣れてしまった感もあるんだけど…。
あと、関空前日入りもきつかった。
東南アジアはどこも冷房がきつすぎる
そういえば今回の旅行で改めて思ったのが、東南アジアというのはどこも冷房が異常にきつい。なんなら日本の方が絶対に暑いのにも関わらず冷房の温度は東南アジアの方が低い。実際、クアラルンプールより東京の方が最高気温とか高いらしい。
赤道擦れ擦れの国より暑い日本って一体…。どんだけ住みにくい日本なんだよ…。確かにクアラルンプールの街をうろちょろしていた時も日本の夏よりは暑くないな(余裕で我慢できる暑さ)という印象だった。まあとはいえ日中は日差しもきついし、ちょっと歩くだけで汗だくになるんだけど。
バトゥ洞窟(クアラルンプール郊外のバトゥケーブ町にあるヒンドゥー教の地)の階段を登ったときは流石にもう無理かも…って感じでした。色んな人と出会って英語で色々話せて楽しかったけどね。
インドネシア人と出会って軽く、まあ5分程度だと思いますが談笑して楽しかったですよ。インドネシア人にとってのマレーシア旅行って日本人にとっての韓国旅行みたいなもんなんかな。
横断歩道が渡れない
日本の赤信号がマレーシアの青信号って感じくらいに車とバイクがビュンビュン来ます。その間をぬって赤信号だろうが青信号だろうがお構いなく渡る感じ。東南アジアに行くと毎回面食らうんですが、3日目くらいに開眼して普通に渡れるようになってきます。
初日にこれは流石に渡れるレベルじゃないというくらいの車とバイクの波で流石のマレーシア人もみんな青になるのを待ってました。若いやんちゃそうな男の人たち、クアラルンプールのマダムたち、頭にスカーフを巻いたイスラム教徒の優しそうなおばあちゃん。
これは流石にムリよな…と思ってたら、横からグンッ!と力強い一歩目の脚がすぅーっと見えました。大地を踏みしめるその脚はまさにマレーシアの隆盛を具現化しているようでした。
僕の横に立っていた、めちゃくちゃ敬虔そうな頭にスカーフを巻いたイスラム教徒の優しそうなおばあちゃんでした。赤信号の中ぐんぐん進んでいました。
日本だったら確実に止めないと何かしらの罪に問われそうなレベルですが、おばあちゃんの目の奥には「わしが法律や!はよ渡らせろ!」という趣を感じました。それに釣られてみんなでおばあちゃんを先頭にして赤信号を渡ることになりました。
おじさんになって海外旅行に対する興味が薄れてきた
もう一生海外旅行は行きたくない!みたいな感じではないんだけど、20代中ごろの「できる限り行きたい!」とか「世界一周してみたい!」みたいな感情が少し薄れた。まあ日本でもええやん~って感じ。帰りのJET ASIAに乗ってる時は一秒でも早く関空に着いてくれと思ってたし、関空に着いて看板が日本語で、日本語が通じる人しかいない世界に安堵するし、もはや爺だなと思った。
まあ、年1くらいでいいよ。十分。全ての国を死ぬまでに見てみたいとかアホみたいなこと考えてたけど、国境なんて最近になって勝手に人間が決めた線でしかないんだから何カ国行きました~みたいなのはどうでも良いなという感じもする。
「スロバキアとハンガリーに行ったから、はい2カ国ね!」っていやそれはそうだけど、正直スロバキアってどうせハンガリーの田舎バージョンみたいなもんじゃないのん?とか(スロバキアは行ったことないし、スロバキア人を貶める発言ではないです。東欧に無知な私を許してください。まあ、ヨーロッパの人たちが中国と韓国と日本の違いがわからんようなもんだと思います。)
それに時代が変わったら国の数も変わるわけで、80年代にユーゴスラビアに行きました~!って人は令和換算で何カ国行ったことになるねんとか?まあつまり、何カ国行きましたなんてのは自己満足な気もしてきました。読んだ本の冊数を数えてるようなもんです。
30代はまだまだ若い
会社でよく雑談するおばちゃんとマレーシア旅行の話をしてたんですが、「いや~マレーシア旅行もうめっちゃ疲れましたよ。身体がもたへん…。」とかうだうだ言ってたら、「何言ってんのよ!まだまだ若いやん!これからやで人生!」と言われました。
そうなんか。わしの人生はこれからなんか。と思いながら新入社員を眺めてました。新入社員といえば、まあ大体大学を卒業してすぐだから22とか23くらいの子達がいると思うんですが、彼らがもし「ああ…モラトリアム期間終わっちまった…。もうおっさん(おばさん)だわ。」とか「この先の人生決まっちゃった。」とか言ってたら、「いやいやいやいや!秒で今仕事辞めても他もあるし、数年働いてもう一回別業界で働くとかでも良いし、これからやろ!!!」とか思っちゃうわけで。
まあそうよな。自分より若い世代の人間を見ると、未来があってキラキラキラ!ええなあ。みたいに思うんだけど、自分より年上の世代の人間からは自分が同じように映ってるわけで。
まあ確かに?40歳の自分が今の自分に声を掛けるとしたら、「いや、これからやろ!」なんでしょうね。そんなことをぼんやり思ってるうちに「いや、これからやろ…とは言えんな。終わりや。」ってなりそうなので、真面目に生きます。
最後に訪れた観光地の紹介
バトゥ洞窟
バトゥ洞窟。ヒンドゥー教の洞窟です。できたのは今から100年ちょっと前くらいらしくて、建ってる金色の像は破壊と創造の”シヴァ神”の息子です。
ヒンドゥー教っていうのは、まあ現代版のバラモン教みたいなもんで、元々インドとかネパールの地域は仏教じゃなくてバラモン教っていう宗教があった土地なんですよ。で、そこに釈迦(ゴータマシッダールタ)が生まれて、バラモン教とは別の新しい宗教(仏教)ができた感じなんですよね。
で、民間伝承とかでながーーーーい時間がかかってバラモン教に仏教のテイストが少し加わったやつがヒンドゥー教。
ペトロナスツインタワー
goproじゃないと画角に収まらないくらいにめちゃくちゃ高かったですね。いやはや。ホステルから5kmくらい離れてたんですが、ペトロナスツインタワーから帰ろうとした時一文無しになってることに気づいたんですよね。行きの電車賃しか持たずに難波から梅田に来た感じ。で、これは帰れん!!!となって途方に暮れた場所です。
タクシーの運転手に事情を説明して何とか乗せてもらい、ホステルにてお金を支払いました。
ピンクモスク
初モスク。モスク内はひんやりしていて過ごしやすかったですね。コーランとか売ってたりね。750円くらいで売ってたんですが、イスラム教ってすごく厳しい感じがするので易々と触ったりしたらとんでもないことになりそうで触れませんでした…。(多分、観光客でも触っても大丈夫…?)
最終日に行きました。正直体力もほぼ残ってないしヘロヘロ過ぎてもう行くのやめようかなと思ってたんですが何やかんや行けてよかった。モスクなんて行く機会めったにないし、電車も通ってない地域なので今行かないと二度と行くことはないかもと思って行くことにしました。行った価値はあり。
それにしても、ピンクモスクにしろバトゥ洞窟にしろ、拝観料無料なんですよね。そう思ったら日本の寺って銭ゲバ感あるよなーと思ったりしてましたね。
最後にだけど、ちょっと近しい人たちにマレーシア旅行の話めっちゃしちゃったから当分パン屋になる体のアカウントにします。パン屋になりません。鍵垢でもいいんだけど、鍵垢よりパン屋の体裁を取りたい。パンは、食パン本仕込派ですかね。はい。お疲れ様です。
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