ストレスフルな社会で生きる貴方へ
どうもニシジマです。ブログをだいぶとお休みしておりました。いやあ…なんやかんや忙しいんですよ。忙しいというか、ブログ書く暇あったら勉強して1点でも上げろよ。っていう気持ちもあって、色々書きたいことはあったんだけど休んでました。
でも、ブログを書く(アウトプット)も、読書(インプット)も両方何ていうかいわば心の食事と排泄みたいなもんで、書かずにいると何とも便秘感なんすよね。あと、ブログを書くことに関して言えば、「あっ今日これ書きたい!」と思ったことをその場で書かないと乗らないんですよ。朝思いついたことを夜に書いてもしっくり来ないというか。鮮度みたいなもんで、その時の気持ちのまま書くのって難しいんですよね。twitterで「〇〇だと思った。」って呟こうと思って、夜改めてそれを呟くのってなかなか難しくないですか?そんな感じ。
泥酔して橋の上で号泣した
わけがわからん。これって弁理士試験の勉強がきつくてって感じでもないんですよね。twitterでも書いたけど、澱が溜まってたんですよ。今までの人生の澱が。
何でこんな人生を歩んでるんだろう?みたいなよくわからん不甲斐なさとか、まあそういう漠然とした感じの気持ちとそれに合わさって弁理士試験の勉強がきつくて号泣しました。多分弁理士試験の勉強をするために色んなやりたいこと【遊ぶこと・飲みに行くこと・旅行・英会話・ピアノ…】をセーブしてるんですよね。そういう細かいストレスとか、会社が忙しかったりとか、ここ数年の出来事とかまあとにかく澱です。澱。
人生30年以上生きてるとまあどんな人も溜まってるんじゃないですか?澱。
会社の飲み会だったんで、これは参加するほかないなということで特例的に参加した飲み会だったんですよ。まあこれ自体はすごく楽しく過ごせたんで良かったんですが、タガが外れたかのように飲んじゃって、泥酔の二歩手前くらいにまで酔っちゃったんですよね。まあ普通に歩けるけどベロベロな感じ。
すごく楽しい飲み会だったんですが、帰り道独り歩いていて、急に涙が止まらなくなったんですよ。もうワンワン泣いて、鼻水は出るし、大声で泣くしそれはもう大変でした。でも、自分でもよくわからないんですよね。泣いてる最中も何で泣いてるかわからないし、泣き止んで落ち着いてよく考えてみても何に対して泣いてるのかもよくわからないんですよね。
でも、家帰ってマンションの自分の部屋でまた大号泣して。これまた意味が分からん。そんな感じでした。まあ直前期になってストレスが溜まってた部分もあるんだと思います。
なんやかんや休日は勉強に全振りして飲み会も全然参加しないし、何も楽しいことはない感じで生きてるので。で、体調面でも口内炎できたり手が痺れたり、昔、中学受験時代によくあった空の咳が出たり。まあ、「ギュっ」と負荷がかかると一時的にこんなことになったりはするんでしょうね。
でも明確な理由がなく、泣くというのは正直初めてでした。そもそもほとんど泣かないんですよ。多分家族ですら幼少期を除くとあんまり泣いたところは見たことがないと思います。てか、人前で泣けない。人前で泣く場合は相当心を許してるパターンで、まあほぼ確実に泣かないんですよね。冷めてるというか、取り乱して精細を欠いてる姿がダサいというか。だから泣くときがあってもせいぜい、人知れず静かに泣く程度だったんですが、今回の号泣は自分でもめちゃくちゃ衝撃的でした。
まあ、泥酔+独り+ストレスっていうところなんでしょうけど。
全然話は変わるけど、共感の押し付けは感動ポルノと同じでだるい
いや、うるさいんよ。最近、世間が。世間というか、みんなうるさくないか?”基本的に全うな考え”みたいなのがあるのが前提で、それから外れた考え方をしてる人間に対して「非情だ!」みたいな。
だるない?
だるいんですよ。それって。知らんやん。そういう風に感じるのはてめえであって俺はそう感じないのよと。それを押し付けんといてくれとどうしても思っちゃうんですよね。
最低限TPOをわきまえた行動はとるつもりだし、最低限の共感はするつもりですよ。するし、それは自発的にできるし。つまり、「可哀そうですね。」とか「良かったですね!」とかそういうの。当事者が100で感じていることを他人である私があくまで”他人”というスタンスで、10くらいの力で共感する感じです。でも、他人なのに同じように100で感じるタイプの人がいるじゃないですか。
別にそういう人がいること自体は良いと思うんです。ただ、「100で感じることを押し付けないでくれ。」と言いたい。大体そもそもで当事者が感じる喜びとか悲しみを他人が本当の意味で100で感じることができると思うこと自体不遜だと思いませんか?
冷めてます…?
いや、冷静になれと。当事者の努力とか深い悲しみをわかってるつもりになってるてめぇの方がよっぽど当事者に失礼じゃないか?と思ったりするんですよ。ただ、百歩譲って当事者と同じように感じる心を否定するつもりはないです。そういう共感力の高い人もいるし、それはそれで人間として素晴らしい素養なのだと思います。ただ…ただ…「同じように感じろ!」と求めてくるなと。
ええやん、子供が嫌いなら嫌いで。「私、自分の子供はかわいいですけど、他人の子供はかわいくないです。」ええやん。
TPOをわきまえてそんな発言もしないですよ。わざわざ。その代わりに「子供嫌いなんて!」みたいな論調はやめてくれと言ってるんですよ。
子供を好きと言いなさいとか結婚式で泣かないなんて非情だとかって言う人とかって、ヴィーガンが肉を食べる人に対してブチ切れてるのと全く同じじゃない?
何ども言うけど、ヴィーガンはヴィーガンで好きにしたらええやん。お前らが肉を食わないのは勝手やろうと。ただ、俺らが肉を食うのも同じように勝手やろうと。そういう話。
ちなみに、これは説明するための例であって私が子供嫌いというわけではないです笑 話は逸れるけど、厳密な話をすると、好きな子供もいるし、嫌いな子供もいる感じです笑
まあ、みんなそれぞれ違う価値観で生きてるんだから、法に反しない限りはある程度互いの価値観を認め合って生きてればいいんじゃないんですか。ふうん、あんたはそうなのねって。
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