損して得取れ、負けるが勝ちを地でいくスタイル
毎日毎日に追われて過ごしていると、「あれ俺何してんだろ?忘れたわからねぇ〜。」っていう(ミスチルのランニングハイより引用)状態に陥る。弁理士になりたいとか、世界一周をしたいとか色々やりたいことはあってそれに向かってるつもりなんだけど、毎日に追われているうちに、目の前のことでてんやわんやになる。
確かに弁理士になりたいから弁理士試験の勉強をしてて、今日は意匠法の20条の勉強をしていてってなるんだけど、思考に雑念が入りすぎると結果に対して直線距離で走れなくなる。
結果さえ出ればオールオッケーなはずなのに、雑念(人生に対する不安、「あれやっとかなあかんかった!」などなど)が入って、ゴールに向かうプロセスがグネグネするような感じ。
「気が散る」という言葉があるけど、まさしくその通りで、”散った気”をもう一度集め直すのには意外と時間がかかる。仕事をしていて急に声をかけられたり、「あっそういえば郵便局行かんとあかんかった!」とかそういうことがあると、その時間が一瞬でも”気が散ってしまう”ので、元の集中している状況に戻るには時間がかかる。これが本当に良くない。
散った気を戻すのにも時間はかかる。
邪念を捨ててプロセスの最適化をする
『彼氏・彼女・親・兄弟と仲良くしたい』ということが最終目標だったとする。目標が明確になっていれば、ある程度、プロセスは目を瞑っても良いと私は思う。つまり、損して得取れというか負けるが勝ちというか。
どうしても邪念・雑念が入れば入るほど、頭の配分が邪念・雑念にとらわれてしまって、勉強に集中できなくなるし、直線距離を走るためにどうすれば良いのかという思考が欠如してしまう。結果、『コツコツすれば良い』みたいな無思考の発想になってしまう。
そもそも物事というのは結果が何よりも重要なはずなのに、その結果にたどり着くためのプロセスをプライドとか主義とか正義感みたいなもので複雑化させちゃってる感じがする。
さっきの例でいうと例えば、『親に厳しく門限を決められている子供が門限をいかに親を納得させて破るか』という状況を考えてみる。思考が停止しちゃう子は親を何とか説得しようと正攻法で”愚”直に親に向かう。当然、ダメだと言ってる親に「お願い!」というわけだからそんなものは通用するはずもない。
ではどうするべきかを考える。しおらしい態度を取って、母の日になけなしの小遣いでバラを買ってみたりして、母親に「いつもありがとう!」なんて言って渡してみる。
すると次の日に15分ほど門限を破っても意外に怒られなかったりする。これが道徳的に良いことか悪いことかとかそういうしょーもない話をしているんじゃなくて、正攻法で戦おうとするのは思考の放棄で何も称賛されることじゃない。
飛翔体を飛ばすお国に対して、お得意の”遺憾砲”を放つ総理や外務大臣と何ら変わらないのである。ちゃんと練る努力をせいっちゅう話ですわな。無思考は罪。策を練って全員が納得・円満にもっていくというのが世渡りだし、甲斐性だし、政治力で賢い生き方なわけです。私が思うに。
というか多かれ少なかれ大人はみんな愚直には生きてないはず笑 就活でも嘘つくし、お世辞だって言うじゃん。それと同じだと思うわけ。
品行方正に生きるのはそれはそれは素晴らしいとは思うけど、そんな人も世の中で他人とうまくやるために適度に適当になってると思いますよ。傍若無人に生きろと申してるわけでなく、考えて生きろと申しておるわけです。
愚直は無思考。
二頭追う者一頭も得ず
策を練って円満の結果を取りにいくというのが賢いよねという話をしたんだけど、それを邪魔するのが邪念・雑念。人間って2つ以上のことを同時に思考することはできないんだよなって最近よく思う。特に私はそういうタイプの人間で、とにかく同時並行で物事を推し進められない。
だからそういうタイプの人間は尚更だけど、邪念・雑念は捨ててしまって思考をシンプルにしないといけない。
【弁理士試験に合格すること・彼女を作ること・彼女をいかに短い時間であっても十分に満足させられること】これがいわば直近の目標となる(その上で転職活動(?)と仕事も並行しなければならないので多忙を極める)。
【】の目標は正反対のベクトルの努力をしないといけない。勉強する時間を確保することと勉強する時間を削減してしまうこと。では、この2つの命題を解決するために何をどうすれば良いのか?答えは、短時間で十分に満足をしてもらう努力をするということになる。こういう言い方をすると冷たく聞こえるかもしれないけど、もう散々言ったように、すべてを円満に自分が考えるように進めるためにはこれしかない。しかも、相手に対して不満を持たせたり、我慢させたりするという話ではない(というかその前に彼女を作らないといけない)。
何度も言うように「満足(私が最良であると思ってもらう)」させるのである。満足する会話を提供して、満足する”サービス”を提供する。その上で、相手も自分も楽しいと思える状況を作る。とにかく、社会人受験生の身としてはたくさんの目標を追いかけることはできない。だから、今一番大切なことを数点あげてそれだけに注力するという生き方をする必要がある。
邪念・雑念を捨てて思考をシンプルにする。
今、何をしているのかを常に意識する
電車に乗ってるとき、お昼ご飯を食べているとき、何かしらの隙間時間はあるけれど、そのときにぼーーっと弁理士試験の参考書を眺める。このとき何となく参考書を眺めるのではなく、「今は弁理士試験の勉強をしている時間なんだな。」という意識を持って参考書を眺める。そんなイメージ。
「今は休憩をしているのだな」と思って真剣に休憩をする。「今は彼女と遊んでいるのだな」「今は友人と飲みに行ってるのだな」と思って真剣に遊ぶ。つまり、メリハリである。
時間がない分、メリハリをつけて、目の前のことに真剣になる必要がある。ということは話が戻るけど、邪念・雑念は一番最初に取り払わないといけない。
とにかく今一番重要な3点を取り上げる。
- 弁理士試験を早く合格
- 彼女を作る
- 短い時間で十分に楽しい時間を作る
そう考えると、それ以外の物事は全て「捨」となる。それでもどうしてもやらないといけないこと、例えば仕事などは、上記3点を完遂するためにどうすれば良いのか?という意識のみで取り組むことになる。例えば、早い段階で仕事をざっと集中して終わらせて空いた時間を作って勉強に充てられるのなら勉強に充てるなど。
人生も時間も有限なのだから、色んな物事に囚われてはいけない。人間は同じ期間内でできることなんてたかだか知れている。だからこそ、集中する数点にだけ絞って、それ以外のことは全捨て(=集中する数点を完遂するために捨てるものに対してどう対応をすべきかだけを考える)の意識をもつ必要がある。そんな風に今は感じる。元来怠け者でのんびり屋なので、弁理士試験後は多分ブーストモードは”解除”すると思う。今日は自己啓発本みたいになってしまったけど、最近思ってることを自分に向けて書いてみた。
今、何をしているのかを意識する。
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