日々をメモりたい。
日々をメモりたい。日々をメモして、それを何に生かすのかよくわからんけど、とにかく日々をメモりたい。ひょんなことから朝井リョウさんのエッセイ『風と共にゆとりぬ』を読むことになった。自ら読もうと思ったわけではなく、人から勧められた本だったんだけど、なかなか面白い。
伊坂幸太郎の小説に出てくる冷めた目で世間を見てる主人公みたいな人(=朝井リョウさん)が語るエッセイ。「おい、ニシジマ!俺は冷めてなんかないぞ!」って朝井さんに怒られるかもしれないけど、それはごめん。
朝井リョウさんの小説はほとんど読んだことがなくて、一冊だけ大昔に『桐島、僕は部活を引退する』みたいな小説読んだことがある。あまり印象的ではなかったけど、このエッセイの方は結構面白い。普通、小説家のエッセイを読むときって、小説から入って、「この小説ってどんな人が書いてるんやろう?」という興味からエッセイを読むパターンが多いけど、小説家が書く作品でいきなりエッセイから読むのは微妙に邪道というか、朝井さんからすれば、「いや、小説から読めよ!」って感じかもしれないけど、それはごめん。
とにかく、朝井さんのエッセイを読んでいて、単純に「面白いな。」と思うのと同時に、「日々の生活をかなり事細かくメモってるんだろうなー」と思ったりした。かく言う私も実は10年以上1円にもならない日記をつけてるが、読んでいて本当に面白くない。このブログの記事も同じく、せめて意義のある記事であれば良いんだけど、意義もないし、面白くもない。僕も朝井さんのように面白い文章を書けるようになりたい。
面白い文章を書けるようになるには、そもそも文章力というより、もっと日々の生活をしっかり見て生活をしてメモらないとこんな文章は書けないなと思ったので、明日から話のネタになるようなメモろうかなと思っている。
あと、朝井さんのエッセイを読んでいて、「朝井さんはなかなか行動しているなー。」とも思った。やっぱり人間生きていてもハプニングなんてそうそうないし、人と関わって初めて『話』って生まれるんだろうなと。
文章を書く能力も必要かもしれないけど、それ以上に出向いて経験することと、誰かと話をすること(ネタ集め)こそが面白い文章を書く秘訣なのかなと思う。このブログは正直『アラサーのお嘆きブルース』くらいにしか思ってなかったけど、やっぱり文章を書く以上は誰かに読んでもらいたいし、読者を多少は意識して書いていかないと本当にローカルな日記と同じになってしまうなと思った。
振り返ると、旅行記に関しては他のしょーーーもない記事よりも少しは読み応えはあるし、カンボジアの女の子と出会った話は、まとまりのない文章だけど、心にグッとくるものがある。やっぱり人間は経験してなんぼだなと思う。そんなに毎日何か経験することはないけど、それでも感じたことをメモして文章に起こすことはしていきたい。
どうして日記をつけ始めたのか
そもそもで文章を書くことが好き(というか嫌いではない(?))なのかもしれないけど、文章を書く起源を辿ると高校2年生の終わり頃になる。当時の僕は、日々の変化のない生活に鬱々としていて、少しでも良くしたいという思いから、マイブック(新潮文庫)を購入し、せっせと日記をつけ始めた。国語は苦手だし、成績も全く良くなかったけど、人並み以上に小さい頃から小説を読んだり、文章を書いてきたと思う。それに、思えば今も書き物(模擬試験を作成したり、解説を書いたり)の仕事をしているので、そもそも文章を書くのは結構好きだったのかもしれない。
文章を書くことで頭が整理されるという側面と、もう一つあって、人に話をしたいという欲求の代替みたいなところで『文章を書く』というのがある。相手がいないから自分でするという悲しい性であり、10年間書き溜めた毒にも薬にもならないこの日記たちはいわば丸まったティッシュペーパー同然なのである。
高校2年生のときに「ああこんなに毎日同じ生活の繰り返しでは良くない!改善しよう!」という思いから、日記をつけ始めた。結局、あれから10年以上日記をつけて変わったことは「ああこんなに毎日同じ生活の繰り返し…だけど、まあええっか!」という開き直りで、あの日変わろうと決意した高校2年生の自分に額を地面に擦り付けて謝りたい。
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