弁理士試験・短答式試験の結果が返ってきた。38点で絶望。今後どうするかを語る。

弁理士試験

短答試験の結果が返ってきました

R4 25点、R5 38点です。

どうもニシジマです。弁理士試験受験生アカウントやってます→@nishijima1029

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短答試験の結果が返ってきました。38点でした。38を強調してすみません。正直点数自体はどうでも良いのですが、38って書いてる方が検索とかで引っかかりやすいんですよね。「短答 38」とかで検索するでしょ。で、今後どうしていくかという話で。

短答試験終わってからマレーシア旅行に行ったり、ダラダラしてたのですが、そろそろやるかやらないかを決める時が来たなと思って今日ブログを書いてます。

実は短答試験が終わってから自己反省会は何度かしていて紙にダメだった点を書きだしてもしもう1年するとしたらこうしないといけないみたいなことをまとめてはいました。それと共に、マジでもう1年やるのか?というところがあって悩んでいるわけです。だって、流石に次で3年目でそろそろ決めたい。もう何カ年計画とか短答試験だけでもという次元じゃなくなってきた感はある。今年ダメで来年受けようという人たちはどういうスタンスで受けていく所存なのか気になります。

だって、もう流石に5年も6年もってアホじゃないですか?そんなんきつすぎるし、そこまでして手に入れるべきものなのか(時間とお金)がかなり???なので、受けるとしても来年合格はマストのつもりで受けたい。

でも、今年38点だから来年は必ずそれ以上の点数を取れる保証はないし、著不とかで足切りにあって「あああああ!!!」とか言ってるかもしれない。何回同じこと繰り返すねん…。という話で。弁理士試験の勉強をするということはその分やりたいことを犠牲にしている。犠牲にする以上、合格という形として残す必要があって、来年落ちて「ああ落ちたけど、頑張ったことには意味がある。」みたいなことにはしたくない。それはそうなったときはそういわざるを得ないけど、本当にそこまで努力して安くないお金をそこまで払ってやって、結果に結びつかなかったとして、それでも「やったことには意味がある。」と言えるのかと。意味がないとは言えないけど、どんだけ遠回りな人生を歩んでるんやという気がして。

まあ所詮人生なんて自己満足なので落ちても納得していればそれで良いんだけど、流石に3年目に突入する気ならば3年目で仕留める必要はあるだろうし、その気がないのならもはややめた方がいい気がする。予備校に献金して机の上でガリガリ勉強する生活なんて人生において長くやるべき期間ではないので。(こういう時間が自己形成にすごく大事なこともわかるけど。)

LECのM先生とN先生の体験授業を受講してみた

1年目の入門講座はM先生を受講していたんだけど、他の先生はどうなのだろうか?と思って、N先生も受講してみた。同じ先生(M先生)を受けるメリットとしては、論調が同じだし、抑えるポイントみたいなところも同じだから聴きやすいと思う。あと単純にM先生は飽きない気がする。

一方で、N先生を受講した感想としては、やはり今までM先生に習っていた内容を別視点で語ってもらえるので新たな発見は多いと思う。あとN先生の方が緻密に細部まで教えてくれる感じがした。本当に所感ですが…。

で、N先生ありだなあと思ったのですが、ただ、1年通してこの淡々とした授業を聴き続ける精神力はないかもしれない…気がして、M先生にしようかなと思った。(取るのならば。)

どっちの先生の方が受講者数多いんでしょうね。N先生で新たな視点を見られるメリットか。それとも今までの流れを踏襲しつつ、楽しめるM先生の授業か。私ね~なんだかんだで一コマ1.5時間あるじゃないですか。これを淡々と説明されるとかなりきつい気がするんですよね。1年目にM先生の授業を通して聴いてたんですが、それでも正直莫大な授業数で心折れかけたりしてたんですよね。だから、「聴け授業である」ということは割と重要だったりするんじゃないかな?と思うんです。それでなくとも授業外の自習で色々問題と対峙して悩んで辛い時間を過ごす必要があるのに授業まで楽しくないとなると多分持たない気がする。

また元に戻るのか

人生生きてると頑張っている期間と頑張っていない期間がある。頑張っていない期間に突入すると、何かに人生の時間を燃やさないとただ老いるのをじっと待つだけな気がして辛くなってくる。そして、何かに取り組み始める。でも、少し取り組み始めると、「ああ疲れた。やっぱり休みたい。」ってなる。そして、結局何も身につかずに終わる。そんな毎日を過ごしてきた人も多いと思う。

20代前半なんてまさしくそんな感じだった気がする。それで始めた英会話とTOEIC。当時、英語は苦手科目で全然できないって感じだったんだけど、だらだらする生活に終止符を打つために始めた。何となく仕事と家の往復以外で自分が何か取り組める時間というのを作りたかったのだと思う。

それで英会話を始めて、TOEICを受験するようになった。最初は本当に適当に受けていたTOEICだったけどそのうち段々やる気が出てきて、最後の数回は900点を目標に受験した。まあ結果を言うと、865が最高得点で900には及ばなかったが。

20代中ごろにTOEICerとして受験してました。最後の受験は確か2021年だと思う。

それでも、そのおかげで海外旅行もとりあえず難なくできるようになったし、転職活動で履歴書に書くこともできた。海外の人とも会話ができるようになったので大げさにいえば世界が広がった。そんな風にして日々薄っぺらい1枚の紙を積み重ねるような生活をして数年の期間を経て大きな結果を生む。この薄っぺらい1枚の紙を積み重ねる生活は非常に苦しいし、積み重ねたとしても積み重ねたことが自分でもわからないくらい薄っぺらいから途中で投げ出したくなる。

何のために頑張ってるのか。何のために色んな事を犠牲にしてこれをしているのか。

それがわからなくなる。そして、投げ出したくなる。投げ出したくなるけど、それでも続けるうちに一筋の光が見えたりして、大きな成果として自分に返ってくる。返ってきたその大きな成果はお金では買えないし、他人には絶対に分かりえない達成感や景色だったりする。

頑張ると休憩したくなる。次動き出すのはとても辛いし、動き出して少し経つとやめたい気持ちにもなるかもしれない。でもそこでやめたら本当に二の舞。また自堕落な生活に戻って、(自分は何をしてるんやろ。)という気持ちに襲われる。

そんな気持ちに襲われたことは流石に30過ぎると数えきれないほどある。やるなら仕留める気でやらないと。腹くくらないと…。

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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