『受かりたい』より『逃れたい』
お気持ち表明
お疲れ様です。どうも、ニシジマです。弁理士試験がいよいよ直前期になってくると共にメンタルがおかしくなってくる昨今。直前期になると、『受かりたい』というか『逃れたい』という気持ちが強くなってくる。色んな試験において撤退を考えてる人もいるのかなと思って、『司法試験 撤退』とか『行政書士 撤退』とかで色々調べたらやっぱりたくさん検索が引っかかった。資格試験って孤独よね。『弁理士試験 撤退』も調べてみるかと思って、検索したら一番上に引っかかったのはワシの記事やってこれはさすがに草of草でした。
カルピスと最中が主食になってる昨今
2月といえば、大学入試シーズンなんですよね。ということで、私もたくさんの関西圏の入試問題をガリガリ解くわけでして。朝から大学入試の問題解いて、家帰ってきて弁理士試験の問題を解いて。頭を使いすぎてて、これって、もし筋トレに換算したらワシの身体とんでもないシュワルツェネッガーみたいになってるんじゃないだろうかというアホな想像をしたり。
最近、頭を使ってるせいか無性に甘いものが食べたくなる。頭使ってるというか多分もう一つはひたすら机に向かってる生活で無味乾燥すぎるせいで脳が刺激を欲してる感じ?な気もするが。そんな感じで、カルピスを飲みながら最中を食べるというVery sweet lifeを送っております。そろそろ近所のスーパーのレジ打ちのおばちゃんに最中ってあだ名がつけられそうです。そうですよ、私は弁理士試験のまさに最中なんです。
団体戦感が薄い弁理士試験
そういえば、受験を始める当初、弁理士試験は法律の試験だからいわば暗記ゲーだ。暗記ゲーなら頭の良し悪しはそんなに関係ないし、1年くらいやったらサクッと受かるのでは?と思っていた。まあ実際はそんなことなくて、3年目に突入しているわけで、弁理士試験を甘く見過ぎていたのだが。
まあはっきり言って受験生活なんて長くやるもんでもないし、そろそろ兆しが見えてきても良い頃だと思う。いい加減兆しが見えないと流石に辛い。弁理士試験ねぇ。むずいよね。
大学受験の頃と決定的に違うのは、『働きながらという負担』と、『みんなもやってる』という感覚。なんやかんやで、受験勉強というのはみんなと一緒にやってた。自分だけがしんどいという状況ではなかったから、周りに引っ張ってもらってガリガリ勉強してた。だから釣られて成績も伸びたけど、なんやかんやで大学受験時代に比べると単独個人戦に近い感覚がある。結局内在する自分の弱さとの闘いになる。これがきつい。もう腕立て伏せきついっす泣!!っていうところに、もう一人の自分が叱咤激励して「あと20回!!!」って言って悶絶する毎日である。
勉強って最初楽しい時期が過ぎると、苦痛の時期があって、その長い苦痛の時期を超えるとまた楽しくなる。人生みたいなやつです。
ほんでや。『働きながらという負担』。これもこれで結構しんどい。いやいや、8時間も働いたらもうクタクタでっせ。この後からガチ勉ですかw正気なのですか。弁理士になったら2000万くらい貰わんと割に合いませんけど、いけます?という感じで。
“学歴のおかげさま”を忘れている
「大人になってからは実力勝負や。」とか「学歴は関係ない。」とか言うけど、ほんまか?と。いやいやそれは流石に言いすぎというか、あまりに過去を軽視し過ぎやろと。
いや、わかる。ぶら下がんな。成長はないぞ。っていう論理やと思うし、学歴(=過去の努力の証)なんて関係ないっていうスタンスでいる方が自己成長に繋がるし、そもそも過去の栄光みたいなもんに縋ってたらそこで人間終わるし、ダサいやろと。
そのスタンスはめちゃくちゃ納得する一方で、いや待てと。実際のところ、学歴のおかげさまで今があるところってあるくないか?と。学歴のおかげで、今の会社に入ってる部分もあるやろうし、いや高卒やったら正直相手の親に認めてもらってなかったやろうなとか。結局色んなところで後々になっても、自分自身の意図しないところで否が応でも恩恵を受けてる一面、事実はあると思うのや。
「いや、お前今日から中卒やと思われるフィルター掛けられながら戦ってみろや!」と。学歴を軽視するのは寧ろ中卒で頑張って成功してる人を愚弄してるのでは!!!!?という論調。絶対無理やから。学歴という”ハッタリ”で生かせてもらってる部分もあるくせに全部実力ですみたいなスタンスは…???
まあ、なけりゃないで生きていけるのも十分わかるんやけど。
ここまで話して何が言いたいかというと、
学歴軽視=今までやってきたことを軽視=頑張る意味を見出せない
逆に、「あれ?よく考えたら色々恩恵受けてるかも?」と思えば、
学歴重視=今までやってきたことを認める=今後も頑張って登れば更なる恩恵があるのかもと、頑張る
という回路が出来上がるんですよ。いや、別に学歴じゃなくていいんですよ。何か自分が頑張ってきたものって何かあるじゃないですか。それってよくわからん形で次の10年、20年で還元されるようにできてるんですって言いたい。
弁理士試験に合格して山に登った先に、ひょんとした、こういう恩恵あるやん~お得やん~みたいなところって多分あると思うんですよね。得したいから登りたい。あとね、安牌狙いすぎて、もう同じことを繰り返して日銭稼いで年老いていくのにも飽きたところもあるんです。日銭稼いで年老いていくのを待つ生き方に何の意味があるんやろう、せっかくやし何かやってみいへんか?っていう、RPGみたいな感覚で。せっかく一回こっきりの人生やもん。色々見てみたいよ。
100回受けても受からない人もいる
別に弁理士試験に限らずやけど、車の免許から司法試験まで、どんな試験でも1回で受かる人もいれば、10回あれば受かる人もいて、100回受けても受からない人もいる。これは実際のところそう。
人間は与えられた能力が違うから仕方がない。車の免許に100回落ちる人もいるやろうし、司法試験に一発で合格する人もいる。これは予備校で働いてて、たくさん生徒を見てて、走る速度がみんな違うのと同じように物事を理解する能力も全然違う。だから、世の中の人全員が弁理士試験に一発で合格できるとは到底思えんし、いや寧ろ世の中の90 %くらいの人は一生かけても厳しい気がする。多分そういう試験。
だから、そりゃあ一発合格できる人はすごいと思うし、生半可な努力じゃないのと正直才能もあるなと思うけど、自分の進められる歩幅で少しだけ無理をして頑張って自分なりの弁理士になれば良いんじゃないかとは思う。凡人にしか出せない味もあると思うよ。
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