大人の勉強は楽。子供の勉強は大変。
どうもニシジマです。普段は予備校で模擬試験を作ったり,浪人生相手に化学を教えたりしてます。大変ですよね。いくつになっても勉強ってほんまに大変だなとつくづく思う。
いかに興味をもって接せられるかみたいなところが勉強を楽にするヒントだったりするんだけど、それにしても受験生の子供たちは絶対勉強が大変だろうなと思う。
大人の勉強と子供の勉強の違いって色々あるんだけど、一番大きな違いは子供は否が応でも10科目ほど勉強させられる。しかも期限付きで受験に落ちると始末が悪い。正直言ってこの年になって古文やってみようかなとか漢文を読めるようになりたいななんて思わないし、多分死ぬまで漢文は読めないと思う。そんな興味のない科目も「受験で必要だから。」の一言でやらされる子供たちはなかなか酷な状況だよなと思う。
それに比べると大人は自分に直結する勉強か興味のある勉強しかしない。多分ほとんどの人が収入につながるからとか自分が単純に興味があるから勉強をしたいと思って、ある程度目的意識だったり学習意欲がある中でやるから苦痛度は子供たちに比べて絶対に低いと思う。
じゃあ子供たちだって受験なんかしなきゃいいじゃないか?と言うかもしれないが、現実問題、大学くらいは卒業しておかないとまあまあきつい世の中である。高卒でも中卒でもやっていけるくらいの天賦の才か根性かコミュ力があるのならば話は別だとは思うが、まあ大体の人は学歴という武器を身につけて初めてなんとか戦っていけるってところだと思う。
なので、子供たちにとって受験勉強というのはまあまあ死活問題なのである。だから、嫌いな科目であってもそれなりに頑張って取り組む。
子供にとってはすべてが未経験で新鮮だから勉強が後回しになる
もう一つ子供にとって勉強が苦痛な理由があるんだけれど、それは子供にとってはこの世界にまだまだ未経験で面白いことがたくさんあるからだと思う。一方で、大人は大体のことをやってきてしまっている。ビールの味も知ってるし、友人と居酒屋にいく楽しさも、好きな子と付き合う楽しさも、ギターにはまる楽しさも、ゲームの楽しさも大体のことを25歳くらいまでにやってしまう。
だから、後は受動的に生きていると「すでに一度見た景色」しか見なくなる。映画を見ても同じような話だなとか思ってしまうのも歳をとって経験してしまったせいだ。
だから、大人は未知の経験をするためには能動的に世界を見る必要があって、それの最たるものが勉強になる。勉強って複雑でとっつきにくいから人生の後回しにしてしまう。そうやって、受動的に生きていても楽しめるゲームとか居酒屋にいくとかカラオケにいくとかそういうことを全部してしまって、「もう飽きた!」というときにする勉強だから新鮮だったりする。
子供たちにとっては勉強よりも楽しいことが溢れているから勉強を後回しにしてしまう。
嫌いな科目・苦手な科目を取り組むメリット
嫌いな科目・苦手な科目・一生使わないであろう科目を勉強するメリットって何なんだろうな?と考えたことがある。予備校業界に長くいるとどうでも良いことを色々考えることが多い。
私の結論は、まあ忍耐力をつけるためなのかなといったところだ。はっきり言って理系に進めば古文や漢文の知識なんて使わないし、教養として知っていたから得をしたということも皆無。
逆に文系に進んでいたとして物理や化学の知識を多少身につけたからといって、何かメリットがあるわけでもない。
結局のところ大昔から入試科目になっている科目を今更外してしまったら外れた科目の先生たちの行き場がなくなるというただそれだけの理由で受験生は勉強しているのだと思う。
なので、正直なところ古文や漢文って原文で読めるようになったりすることに何の意味もないだろうし、もっとやらなければならないことがたくさんあるのだろうけれど、こればかりは仕方がない。変えたかったら文科省に入省して事務次官にでもなってくださいという感じ。
世の中は、効率で動いてなくて大局に対しては無勢なのが一個人である。一個人でイノベーションを起こすとか世の中を変えるというのは到底無理なわけで。
話は逸れてしまったけど、そう決まっていることはそうするしかないので、いかに納得して学ぶかを考えたところ先ほどの結論に行き着いた。「意味のないことに耐える力を養うため。」である。
世の中には腐る程無意味な文化や習慣や制度があって、ときには「どうしてこんなことをしているんだろう?」「もっとこうすればいいじゃないか。」と思うことは多々ある。多々あるのだけれど、「昔からこうだったから。」とか「こう決まっているから。」ということで成立するのもまた世の中だ。
そういう無意味さにちゃんと慣れて社会の一員に溶け込む練習なのかなと思うわけだ。
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