失敗しても元に戻るだけ。損をしたくないという気持ちが余計に損をさせる。

雑記

失敗しても元に戻るだけ

失敗しても、実は元に戻るだけなんですよね。まあ確かに帳消しになって、本当に何もなかった過去の状態に戻るっていうのはあり得ないんだけど、まあ大概のことは元に戻るだけ。

例えばこんな感じ。

誰かと付き合ってみて別れるということがあっても、寧ろお互い一緒にいなかった時期の方が長くて、出会う前の状態に戻るだけ。

弁理士試験の勉強をしていて、何年間か頑張り続けてきて、途中で撤退したとしても、弁理士試験の勉強をする前の状態に戻るだけ。

まあ確かにそこには時間も労力もお金もある程度コストを支払っているからそのコストを回収できない悔しさとかもどかしさみたいなものはあるかもしれないし、失敗する怖さみたいなものもあるけど、じゃあ何もやらずにジッとし続けていた方が良かったのかと言われると、何かはしてた方がいいんじゃない?と思うから、まあ結果が「×」だったとしてもまあ別にいいじゃんという感じにはなる。まあそのくらいのスタンスで日々生活してる方が好転していくような気もする。あと、失敗する怖さに対するQ&Aは「死にはせん。」です。失敗しても死にはしないので。

弁理士試験に挑戦してみたいな→でもお金も労力もかかるし、自分には難しすぎるかな→やめておこう

のループを繰り返して、時間だけが過ぎていって、ジジイになったときに「ああ、あの時弁理士試験の勉強してたらもしかしたら受かってたんじゃないか?」とか「若い頃に頑張っていれば。」とかそういうことを言ってしまいそうな気がする。

いや、別に弁理士試験に挑戦するというほど大げさな話じゃなくても、日々の生活の中で、「これちょっとやってみたいかも?」と思ったことをちょっと取り組むかどうかで色々変わってくる気がする。

取り組んだ結果が「×」でも、「あー、やっぱ向いてないわ。」でも良いし、「あー、面白くないな。ダルいな。」でも何でもよくて、そうやって色々ちょっとやりたいなという気持ちを無視せずに面倒くさがらずに軽く取り組んでみて自分を知るというのは結構大事だと思う。

それに割と取り組んでみたら意外と面白い一面に気づけたりすることもある。小学生の頃の遠足と同じで、行く前はダルいって言い続けてるくせにいざ遠足に行ったら一番はしゃいでるというのが好例である(でも行く前はちゃんとダルいって思ってるし、言いたい)。

考えない

根本的に人には、損をしたくないという感情が強めに備わっている気がする(多分)。だから、ちょっと遠くに旅行してみようかな?と一瞬思ったとしても、「いや…航空券もホテルも取って、会社の都合もつけてってやって、ほんまにそこまでして楽しいんか?ダルい…。やめとこ。」ってなる。普段の生活でもそうで、「ちょっと足を延ばして、映画でも見に行こうかな?」とかって思ってるうちに、「いや…、そんなおもろい映画今やってないか…。てか、映画最近高いし、見終わって全然面白くなかった嫌だからやめとこう。てかそもそも映画館まで遠いし、身支度がだるい。」みたいになる。

これからする行動を想像するとどうやら人は動かなくなるっぽい気がする。「えぇっと…映画見に行くということは…映画何やってるかな…てか、うちから一番近い映画館やと…あそこか…。駅まで10分も歩くんよな…。その後電車乗り継いで、映画館までそういえばあこ歩くんよな…。夕方から雨やしな…。ダルい…。もうええわ…。ダルい…。ダルい…。」

だから考えるなと。考えた瞬間に頭の中で、映画館に行くコストと映画を観たときに得られる楽しさを天秤にかけて、すぐに損をしたくないという感情がむき出しになる。損をしたくないという気持ちが余計に損をさせる。

考えずに頭を空っぽにして外に出た方が良い。出歩いてる途中で気が変われば、映画館じゃなくてスシローに行ってもいい。結果、家で引きこもってジッと天井を見つめているより、お寿司を食べられて幸せハッピーだし、健全なわけである。

挑戦と買い物をごっちゃにしてしまう

何かに取り組んでみようと思ったときにどうしても損得勘定が生まれる。さっきの弁理士試験の話でいうと、ほんまに受かるんか?費用はいくらかかるねん?てか、どんくらい勉強せなあかんの?みたいな話。で、弁理士試験合格に対するコストと、合格する見通し(期待値)を天秤にかける。

途中で挫折して、撤退することになると、ものすごく損をした気持ちになる。これは、挑戦することと買い物をごっちゃにしている感じがする。買い物はお金を支払ったらちゃんとそれに見合う物やサービスが手に入るのが確定しているんだけど、挑戦というのは、取り組んでみたとしても形として成功体験・成果・報酬が得られるとは限らないというところがある。

つまり、不確定要素が大きくて、もしかすると水の泡になるかもしれないという可能性を秘めている中で努力をするしんどさみたいなものがある。でも、挑戦と買い物をちゃんと切り分けられて、そこの可能性もちゃんと加味した上で取り組めば挑戦することに対して過度に避けることはなくなる感じもするし、あと何より、さっきから言ってるけど、「失敗したとて、財産になる。」というのはまあ間違いないのである。実は長い目で見たときに損はしていなくて、寧ろ何も取り組まなかったときと比べると得をしているとさえいえると思う。

挑戦する、取り組んでみるというのが一番の自分探しになるし、その経験を通じて「こういうことは向いてないな。」とか「今はそういう気分じゃないな。」とか「こういうのおもろいよな。」とかそういうのに気づくわけである。前もブログで書いたような気がするけど、何かに取り組んでみるというのはめちゃダルいんだけど、ダルいで全てを片付けていくとどんどん人生が先細るので、適度に「まあダルいけどやってみるか。」というのを入れるのが良いような気がする。

でもダルい。

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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