抵当権、動産譲渡担保権、動産先取特権に基づく物上代位権を比較する
さまざまな物権の物上代位権
抵当権に基づく物上代位権と動産先取特権に基づく物上代位権との違い
「払渡し又は引渡し」に債権譲渡は含まれるか
304条但書に「先取特権者は、その払渡し又は引渡しの前に差押えをしなければならない」との規定がある。この「払渡し又は引渡し」に債権譲渡は含まれるかが問題となる。結論から述べると、債権譲渡は「払渡し又は引渡し」には含まれない。なぜならば、304条但書で払渡し又は引渡しの前に差押えを要求した趣旨は、特定性維持説によるものだからだ。目的債権を行使して履行(弁済)が行われてしまった後では、目的債権が債務者の一般財産に混入してしまい、先取特権の効力が及ぶ範囲が不明確になってしまうので、これを防ぐためである。例えば、以下の事例の場合を考える。
AがBにPCを売却。その後、BはCにそのPCを売却。BはCに対して売却代金債権を有するところ、当該代金債権をDに譲渡。AはDに対し、当該代金債権につき物上代位できるか。

BのCに対する代金債権をDに譲渡した場合、代金債権はDが有することになるが、この状態では、Bの一般財産と代金債権とは混入しておらず、特定性は維持されていると言える。したがって、債権譲渡は「払渡し又は引渡し」には含まれない。
では、債権譲渡後であっても物上代位することはできるのか
結論から言うと、抵当権に基づく物上代位はできるが、動産先取特権に基づく物上代位はできない。なぜか。それは、抵当権の場合、物上代位は抵当権設定登記によって公示されているのに対し、動産先取特権の場合、動産先取特権の公示方法はなく、物上代位が公示されていないからである。
つまり、抵当権付きの物権における債権(例えば売却代金の債権など)の場合、債権譲受人Eは譲り受けた債権は抵当権に基づく物上代位権が付着している代金債権であることを抵当権設定登記により認識することができるのである。一方、動産先取特権に基づく物上代位権が付着している代金債権であるかどうかを債権譲受人Dは認識することができないのである。例えば、以下の事例を考える。
AはBに1000万円を貸し、担保として、Bの住宅に抵当権設定するとともに抵当権設定登記する。その後、BはCに住宅を売却し、売却代金債権をEに譲渡。AはEに代金債権に対して物上代位することはできるか。

動産先取特権に基づく物上代位権にせよ、抵当権に基づく物上代位権にせよ、債権譲渡がされたとしても特定性は維持されているものの、債権の譲受人に対して物上代位権を行使できるかの結論は異なるのである。なぜならば、抵当権は設定登記されることで公示されているから、債権の譲受人Eに対して物上代位を行使したとしてもEにとっては酷ではないからである。
動産譲渡担保権に基づく物上代位権
上記を踏まえて動産譲渡担保権に基づく物上代位権について検討して、私は思った。動産譲渡担保権に基づく物上代位権の行使が債権の譲受人に対してできるのであれば、この物上代位ってかなり黒幕感があるのでは?と。
動産譲渡担保を設定する場合、通常は引渡しの方法は占有改定をとる。占有改定での引渡しにしないと本当に引き渡してしまったら質権を設定していることとほとんど変わらないからである。
そして、動産の場合の第三者対抗要件は「引渡し」であり、譲渡担保の場合は占有改定による引渡しであっても第三者対抗要件は具備していると考えられる。ということは、動産譲渡担保権に基づく物上代位権を債権の譲受人に行使することは認められるわけだが、債権の譲受人にとっては結構酷なのである。確かに動産譲渡担保権者は占有改定による引渡しにより第三者対抗要件を具備しており、物上代位を行使できるのだが、債権の譲受人(下図のF)にとっては、譲り受けた債権が動産譲渡担保権が付随している債権であると認識する術がないのである。第三者対抗要件は具備しているけど、その第三者(下図のF)は物上代位される可能性を予見する余地がないという事態に陥るのである。例えば、以下の事例を考える。
AはBに1000万円を貸し、Bは担保のため自己の印刷機に譲渡担保権を設定する。その後、BはCに印刷機を売却し、売却代金債権をFに譲渡。AはFに対し、代金債権につき物上代位権を行使できるか。

占有改定による引渡しをもって第三者対抗要件を具備しているとするらしいが、これだと第三者にとっては酷になる事態も多々発生しそうな気もする。第三者にとっては占有改定による引渡しが行われているのかどうかを確認する方法がないからである。
1つの問題を見て10個思考する
1つの問題を解いて、そう処理するのかで終わるのは1対1対応である。前々から再三言っているが、問題を解いてその問題を解けるようになるのは理解ではなく、あくまでファーストステップなのである。最終的な目標は、1つの問題を解いて10を知り、別の事例が出てきたときにも対処できるくらい仮定して思考し、理解するのである。
「この問題は、抵当権者の話だったが、これが動産譲渡担保権者であったらどういう書き方になるだろうか」とか、「この問題は、取消前に第三者に譲渡されているが、仮に取消後に第三者に譲渡されていた場合はどういう処理をすればよいか」などを考えるのである。
そうやって1つの問題を何度も何度も見て多角的に捉えることにより味わい切る。その問題が解けるようになるというのは理解したということとは程遠いのだ。そして、理解するためには大量の問題を解き、たくさん思考し、時に間違った方向に理解してしまったりする。新しい問題を解いて、自分の理解が誤っていたことに気づくこともある。こうやって、地道に大量の問題を解き、対峙することにより正しい理解に繋がるのだ。ただ解いて解説を読んで、もう一回書いてみて書けるようになったから終わりではないのだ。
学ぶとは試行錯誤の途方もない地道な作業なのだ。そして、この作業を繰り返すことにより魂が磨かれて知識をつけるだけでなく、人として結構良い感じになるのだ。元はビニールプールのような人間だったが、弁理士試験を通して僕の精神の深さはマリアナ海溝に達した。


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