イナズマなんて落ちない。動機は何でも良いから走ろう
医学部を目指す生徒がどうして医学部を目指すのか

私、10年ほど予備校で勤務していて、ずっと医学部クラスをもっていたんですよ。そうすると、生徒との面談や面接練習で「どうして医師を志したのですか?」という質問をすることがあったんですね。
その質問をした時に、生徒から返ってくる答えは大体3パターンで、
- 子供の頃病気して治してもらったパターン
- 親が医師で自分もなりたいパターン
- テレビを見て衝撃受けたパターン
これなんですよ。私はずっと予備校で彼らを見ていて、医学部を志す生徒さんたちを不思議に思ってたんですよね。何でそんなにわざわざ苦しいことに挑むんや?と。挑むなりに確固たる具体的な何か理由があるのでは?と。
私は生徒と対話を重ねながら、その理由を知りたいとずっと思っていました。しかし、10年近く働いてみた末に出た答えはこれでした。
「彼らには理由がない」(※但し、社会人を経験して脱サラ受験生は除く)
責めているわけではなく、私もそれで良いと思っているのですが、彼らには医学部を目指す具体的な理由はないんですね。強いて言うならば最も偏差値が高く、社会的なヒエラルキーが高いからです。私は彼らにこんな質問をしたことがありました。
「じゃあ、もし全国の医学部の偏差値が50で、看護学部が70だったとしたら看護師目指すの?」と。
彼らは答えに窮しながら、苦笑いで、
「まあ、看護師目指しますね。」
と言ってました。正直で良いですよね。私もそう思います。簡単に入れる医学部と、門狭き看護学部なら私も看護学部を目指しますもん。結局、参入障壁が高いということはそれだけで価値があるんですよ。
私が弁理士目指そうと思ったのも、単純に最難関資格だったからというのもやっぱりあります。もし、弁理士という職務内容が全く今と同じだけど、難易度が英検2級くらいだったら目指します?多分、今の弁理士の恐らくほぼ全員が目指さないと思います。私の友人たちもみんな成り行きというかとりあえず最難関だからという理由で医師や弁護士になってます。冷静に考えてそりゃあそうですよね。
最難関というのは参入障壁であり、価値なんです。もっと言えば既得権益にも繋がるかもしれません。
イナズマなんて落ちないから待っていても無駄
何かに向かっていない人ほど、目標に向かって走っている人に対して、「”イナズマ”が原因であってくれ」と願う習性があるみたいです。
わかりますよ。イナズマであって欲しい。その人には”イナズマ”という原因があったから走っていて、自分にはそのイナズマが落ちてないから走る目標が見当たらないのだと。
でもはっきり言います。それは違いますね。生きていてイナズマなんて滅多に落ちないですよ。みんな後付けのどうでも良い理由を拠り所にして泥臭い努力をするんです。もしイナズマが落ちるタイミングがあるとすれば、それは、生死を彷徨う病に陥ったけど奇跡的に生還したとかそういうのですよ。人間ってそのくらいにならないとイナズマは落ちません。
つまり、頑張ってる人の99%はイナズマが落ちたから走ってるのではなく、とりあえず走ることに決めたんですよ。人間に走り出す理由なんて無くて良いし、そもそも無いんですよ。無いけど走るんです。走っていたら色々見えてくるんです。走る意味とか生きる意味とか。イナズマが落ちるまで待ってたら死にますよ。
意志なんて後からなんぼでも築ける
つまり、動機なんて何でも良いんですよ。それに、まだ何もその職業に触れたこともない人間にまともな動機が沸くはずもないです。
だって、彼ら生徒にとっても(私たち大人からしても)、自分の職業以外は外側からしか見えないですもん。だから、動機なんて所詮ウソみたいなもんですし、当初思い描いていた職業像と実像は全然違うかったりもします。
でもそれで良いんです。そういうものなんです。その世界に入る前からその世界の中身を知ることはできません。だから最初の動機なんてものは、その職業に就くための一番最初の足掛かりに過ぎないし、後々その職業に就いた暁には、「そんな理由で目指してたのか!」と自分で自分のことを笑うと思います。動機って所詮そんなもんです。
イナズマ(動機)なんてどうでも良くないですか?
だから、適当に何でも良いから無理やりにでも動機を作って、目標を作り、その道に向けて走ることに意味があると思います。儲かるとか、モテるとか、かっこいいとか、威張れるとか、崇められるとか。分かりやすいですよね。最初はそれでいいでしょ。職業観を熟成させるのなんてもっと先の話ですよ。
問題なのは寧ろそういうモチベーションがなくて迷える羊になってる人達だと思います。そういう人はとりあえず難関資格とかで良いんじゃないんですか。分かりやすいじゃないですか。多分目指してる間は想像できないメリット(私が思うに、「第三者からの信頼」と「自負心」)を享受できますよ。
生きるとは走ること
人間はどの道を走ろうかとくよくよ悩んでしまいます。私もその一人です。大学(院)に行くか行かないか、結婚するかしないか、この人と結婚するかしないか、どの企業に就職するか、何の仕事で生きていくか、子どもをもつかもたないか。人生は常に選択の連続です。
そして、どうしても、こっちの方が良いんじゃないか?いや、あっちの方が良いかな?どっちが良いんだろう?と悩んでしまうのが人間です。私もいつも悩んでしまいます。
しかし、よくよく私も自分の人生を振り返ると、どの道を選んだかによって人生が大きく変わったというよりも、「走り出したか、走り出さなかったか」というもっと手前のところに人生の分岐点はあったように思います。何でもいいから、一先ず「これで行こう!」と決めてみて走った経験はそれが失敗に終わったとしても、自分の中に経験として残ります。でも、走らなかった経験は経験として残りません(自戒)。
私はこれまで弁理士試験にかなり傾倒してきましたが、振り返ると、別に弁理士じゃなくても司法書士でも公認会計士でも何でも良かったなと思います。弁理士を選択したことが誤りだったとは思いません。ただ、どれでも良いからとりあえず走ってみるか!という気持ちで走り出すという選択をして、ちゃんと走り続けていることに人生の意味合いがあるように思います。
進路に悩んでいる生徒に掛けた何気ない言葉がありました。その生徒は医学部を志しつつも、今年で受験を終わらせて他の学部に進もうかと考えていた生徒さんでした。
「正解の道があるわけじゃないよ。選んだ方の道を正解にする努力をするだけだよ」
と言いました。
この言葉はどこかで拾った受け売りの言葉ですが、確かに心からそうだよなと思っていました。そして、その生徒さんに大きく響いてくれたようでした。のちにパンフレットにインタビュー記事で掲載されたことで、「あの子は私のあの言葉をそんなに受け止めてくれていたのか!」と感銘を受けた出来事でした。


コメント