会社に遅刻しても大丈夫。まずこれを読んでみて。【死なない程度の低空飛行で生きよう】

雑記

昨今、あまりに求められすぎやしないか?

どうもニシジマです。生きてるとミスをすることがある。わざとやったわけじゃないんだろ?

遅刻しちゃったんだよな。わかる。昨晩楽しくなって飲み過ぎちゃったんだよな。それもわかる。会社の鍵を失くした!?そうかそうか。そんなこともあるだろう。

まず、よく考えてみてほしい。あなたは社会人になって何年働いてきた?5年か?10年か?

例えばあなたが5年働いてきたとしよう。そして、今日は働き出して3回目の遅刻記念日だ。私にも遅刻経験はある。5分遅刻は今までで2度、3度した。一度だけ寝坊して1時間遅刻したこともあったか。でもよくよく考えてほしい。

あなたは年間で220日働いたとして、5年だと1100日。その間に遅刻はなんとたったの3回。確率にすると、たったの0.27 %。優秀だと思う。良いじゃないか。人はミスをする。

それからもう一つ考えてほしい。”会社に間に合う”という行為はたった1つでも物事をミスするとしてしまう行為なのだ。

朝起きたところからシミュレーションしてみよう。

  • 目覚ましがなる。
  • 目覚ましを止めて二度寝しない(したとしても起きる)。
  • スーツが洗い上がっている。
  • 鍵をもって出る。ちゃんと玄関は締める。
  • 駅までいくのに自転車の場合、自転車が途中でパンクしない。
  • 財布にきちんと定期券が入っている。
  • 電車に間に合う
  • 乗り換えをミスしない

この8項目のうち1つでも失敗すると遅刻をする。マジでハードモードだと思う。それを99.73 %でクリアしてきたあなたは今日遅刻したことを誰に咎められる筋合いもないのである。マックスで今の自分を肯定せよ。アホかと言われるかもしれないが、こっちからしたら正気かよみんな!って感じである。なお、遅刻をし過ぎて今回が20回目の遅刻記念日みたいな輩は論外なので救うつもりはない。猛省せよ。

仕事というのは非常に厳戒な条件で行われてるのだなと日々つくづく思う。遅刻の話と同じだけど、仕事でも無数の細かなタスクのうち、ミスを1つでもするとやはり咎められるのだが、これまた世知辛い。100個あるうちの1つでもミスをすると咎められるのがこの社会で、99個もできたんだね!なんて誰も言ってくれないのである。これは個人的な不満ではなく、「世の中は世知辛いよね。もうちょっとゆったり生きようよ。」という趣旨の話である。

会社に着いたら、走ってきました!焦ってます!感を思いっきり出そう。とにかく申し訳なさそうにすることが重要だ。何てことをしてしまったんだ…という意気消沈した雰囲気を醸し出すと尚良し。

いや、何てお前は不誠実な人間なんだ!?と思うかもしれないが、人間っていう生き物は人と接する時に5%(10%?)くらいは演技して生きている。気付いてないかもしれないけど。

伝えるために人は演技をする

初めて会って話した人が「そうなんですよ〜。この服どこどこで最近買いまして〜。」なんて言ってきたら必ず「え〜良いですね。季節的にも涼しげでなんか〜。」とか思ってもないことを言ったりするのが人間だ。

彼氏・彼女と待ち合わせをして結構待ってたとしても「待ってないよ〜。」なんて言ったりもするだろう。逆に待ってることをより伝えたいときは必要以上に「待ったよ!」と言うのもこれまた演技である。

とにかく「その日はちょっと〜」とか「昨日から体調が良くなくて〜」とかその場しのぎに温和な関係を築くために演技をして私たちは生きている。

来週の日曜日に一人で外に出かけたい主婦や夫が木曜・金曜あたりからちょっとずつ「最近ちょっと忙しくて疲れてきたな…。」などと大きめの声で独り言を呟きだす。”仕込み”を始めるのである。これも演技をして生きているのである。演技をしている本人は演技を自分のためにしているようで、これは相手との関係をできる限り温和にするための涙ぐましい努力なのである。

もし演技をしていることに気づいたとしても、そっと騙されてあげてほしい。それが優しさだ。遅刻した本当の理由が寝坊のくせに「自転車がパンクしてしまいました!」と狼狽しながら謝る部下がいたらそっと騙されてあげてほしい。どうか怒ったり、吹き出したりしないであげてほしい。

死なない程度の低空飛行で生きたい。

自堕落になれっていう話ではないけど、世の中は効率を求めてくるし、(日本が貧しくなってきたから?)お金を稼ぐこと、上昇してなんとか浮上することに躍起になりすぎてる感がある気がする。常に人と比べるような人生観みたいな。

そういう生き方が向いている人もいて、そうじゃない人もいてそれでおっけ〜みたいな世の中にはならんだろうか。頑張ればどんどんお金持ちになって裕福な暮らしはできるけど、あんまりがんばらなくてもなんとか普通に生きていけるよみたいな世の中にならんだろうか。

今は、「そこそこの学歴」「そこそこのコミュニケーション力」「そこそこの知識・技術力」が求められて、まあまあ頑張ってきた人間がギリギリ普通な人生を歩めるって感じ。結構辛い。そりゃあどんどん世の中が求める”普通”が高まるとそこから落ちこぼれる人間も増えていくだろうなと思う。もっと寛容な社会になればいいのになと思う。

とはいえそんなことも言ってられないので、私が勧めたい生き方は死なない程度に低空飛行することだ。自堕落になって落ちていくとどんどん落ちる。もう奈落の底まで落ちて這い上がれなくなる。それは生きていく上でまずい。だから、自堕落はオススメしない。かと言って上昇志向・仕事至上主義を礼賛するみたいな風潮もあんまり好きじゃない(というかそれはそれで良いけど好きにどうぞって感じ)。

なので、みんながあんまり好きじゃないことで自分が結構好きみたいなことを見つけて頑張るというのが一番良い生き方なのかもしれないなあと思った次第です。

みんなが好きなことで自分も好きは当たり前すぎてすでにレッドオーシャン(トップゲーマーみたいな。)だし、自分が嫌いなことをやり続けるのは辛いし。だから、みんながやりたくなくて自分がやりたいことを見つけるのが令和の生き方かもしれないと思ったりしていました。まとまりがなくてごめん。

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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