人生で初めてバーに行ってきた。【moon walk】
弁理士試験の勉強をするために某LECに行った帰り、18時。陽も夕暮れ。お腹も少し空いてきたし、梅田でご飯食べて帰るか…。適当な店で一杯飲んでから帰ろうと思ってふらふら歩いていました。
そして見つけたのが、バー、”moon walk”。
何か聞いたことあるな。てか、森見登美彦の小説『夜は短し 歩けよ乙女』に出てくる”月面歩行”っていうバーじゃないのかこれ。そういやあ。と思いながら、中を少し覗く。
店はやってるけどお客さんはいないって感じに雰囲気。でも、少し暗い内装なのでよく見えない。行ってみるか…、バー。と思って、扉を開けてみました。
結局、2時間ほどぐびぐび色んなカクテルとかウイスキーとかビールとか飲んで、マスターと海外旅行の話をして「ほな、帰りますわ~~~!」と言って帰宅。お会計はまあまあ飲んだけど2500円でした。安い。
バーって敷居が高いんよね。というか、30年生きてきてやってこなかったことってもう今からやるのってめちゃくちゃ敷居高いんよね。どんどんハードルが高くなる。高くなるというか高くなってる気がするだけなのかもしれないけど。昔から特別ノリが良いタイプではなかったけど、どんどんどんどん腰が重くなってる気がする。もう新しいことをしたくない。
まったり知ってる世界をうろちょろしてささやかな幸せを噛みしめていきたい。冒険して傷つきたくない。心労が祟る…。
なんて思ってたけど、本当に偶然ふらりと立ち寄って、しかも特に「今日こそはバーに行くぞ!!」みたいな気概もなく、そもそもいつか一度くらいはバーに行ってみても良いよね~なんて思ってた軽い気持ちなんか完全に忘れてたけど、”ノリ”で入ったバーは想像以上に心地よい空間でした。
話を聴いてほしい生き物だ。
人は話を聴いてほしい生き物だ。聴いてほしいし、無条件に肯定される生ぬるい世界で生きていたい。普段生活をしていたら否定されることの方が多いような気もするし、「すごいね!」「頑張ったね!」「偉いね!」なんて言われないし。だから、この話を今していても良いのかな?つまらなくないかな?ということを考えさせないようなリアクションを取れる人というのは貴重だと思う。
そうそう、話を聴いてほしいんだよな。色々振り返ると、昔、別府温泉に一人旅をした時に知らないおじさんにガールズバーとラウンジを4軒もはしごして奢ってもらったことがあったけど、あれもダントツでガールズバーよりラウンジの方が楽しかった。
女性の年齢もガールズバーは若くて20くらい。ラウンジはもう少し年上のお姉さん。私にとってはお姉さんのいる店の方が断然楽しかった。あれも思い返せば、20くらいの女の子だとなかなかおじさんの話にうまく乗れないし、半分こちらが盛り上げないといけない!みたいな気持ちになってしまう。
嗚呼、向いてない。向いてない。ガールズバーは向いてない。と思いながらちびちびお酒を飲んでた。そんなことを思い出したんだけど、バーというのは、バーカウンターを挟んで、客とバーテンダーが会話をするんだけど、基本的にバーテンダーさんは上手く話を肯定してくれる。
「ん~よくわからないけど、すごくスモーキーですよね。何かどっちかって言うとスコッチみたいな味がします。」
とかって意味も分からずに感想を述べていると、大体褒めてもらえる。それもわざと褒める感じじゃなくて、上手い具合に「なかなかウイスキーの味って説明を上手にされる方っていらっしゃらないんですけど、まさにおっしゃる通りで…。」みたいな具合に。
ありがとう。マスター。また来ます。
まあ自分がお客さんである分、多少はしょーもない話をしててもまあOKか!と思う気楽さもあるのでペラペラと話してしまう。上手に話を乗せてくれるのと、あと知識が豊富じゃないと務まらない仕事だなとぼんやり考えていた。本当に話が飛び飛びになってたと思うけど、何でも話せる心地よさがあった。
ささやかな冒険心が人生を豊かにする。
今日こそはバーに!と意気込んでたわけでもなく、本当にフラッと歩いてたらたまたま吸い込まれるように入っていたお店、moon walk。
毎日毎日同じルーティンになっちゃうし、冒険心を出すより、安全牌をずっと引き続けて、お昼に同じ定食屋の同じメニューを機械的に食ってると文字通り、食傷する。
人生を豊かにするために必要なものはささやかな冒険心なのかもしれない。
ということで私は寝ます。
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