結局、喋りたいんだよな。
結局、喋りたいんだよな。自分って何がしたいんだろう?と考えたときに、結局のところ喋りたいんだと思う。何で話すのが好きなんだろう。聞くよりも断然話をしたい。
聞き上手がモテるのはすごくわかる。話好きにとって聞き上手は最高のパートナーだから。だから、モテたいとか好きになって欲しいと思ったときはぐっと堪えて聞き上手に徹する。人は元来「わかって欲しい」っていう気持ちがすごくあるんじゃないかな。だから、自分の話をして、身の上だったり、悩んでることだったり、考えていることを伝えて理解してもらいたいと思う(んだと思う)。
それと同時に、喋ることで自分の中で整理している一面もある。だから、例えば、生徒に化学を教えている時は自分にも同時に話かけている。自分の中で理路整然となって全てが論理的に話をしているか?自分が一旦無知の人間になってみて、そう言われたら納得するか?ということを自然と意識している。
だからなのかおしゃべり好きが高じてなのか、よく「わかりやすい」と言ってもらえる。
実生活を通してよく褒められるなと感じられるのは、「人に教える能力」「字の綺麗さ」.
字の綺麗さ。これはよく褒められる。目につきやすいというのもあるかもだけど、多分才能があったんだろうな。あと逆になんだけど、私の好きなピアノに関しては割と貶されることが多いので、多分音楽には才能がない。好きなことと才能があることは意外と一致しないこともある。
手前味噌になるけど、人に教える能力は多分自分史上では一番高い気がする。実際に新卒の頃に受けた予備校は全部受かったし、何よりも面接官の前で模擬授業したときは「素晴らしい。どこかで集団授業をしていたのか?」と毎度言ってもらえた。ちなみに集団授業はしていない。
大学生の頃、家庭教師をしていた。
だけど、とにかく学生時代から家庭教師などをしていてわかるのが、「その生徒の脳味噌になれる」というのが私の強みだと思う。今目の前で教えている生徒がどんな風にその問題が見えていて、何がわかっていないのかというのがなぜか手にとるようにわかる。だから、どうアプローチすればいいかすごくわかるし、実際、教えているとずば抜けた成績を取るようになる。落ちこぼれの生徒を4回(120分×4回)教えて、期末テストの総合成績を上位に入れたこともある。数学に至ってはトップ層にまで食い込ませた。
これはからくりがあって、いわゆる模試だったら、何が出るか不明瞭だからこういう芸当は不可能だと思う。でも、期末テストは何がでてくるのかがよくわかる。だから予想問題も作れる。時給3200円ももらっていた状況下で、家庭教師(つまり、個別指導と違って親が近い)をするプレッシャーがこういう結果を生んだ。
実際、理解力が乏しい子に理解させるためには、一旦自分が無知になって同じ立場になる必要がある。どういう風に図形が見えているかとか。だから、言葉が悪いかもしれないけど「底知れないアホになってみる」というのがすごく大事だと思う。それからもう一つ私がよく生徒の成績を伸ばすためにしていた話は、
「学校でいつも1位の成績を取る子がいるやろ。お前は今300人中290位やろ。1位の子のことをどう思う?雲の上で届かない存在と思うやろ。それは違う。俺からしたら1位も290位も誤差や。次の期末テストで絶対に抜かせられる。楽勝や。」
こういう話をよくしていた。さっき言ってた4回の授業のうち最初の30分くらいはこの話をこんこんとしていた。とにかく、楽勝である、余裕である、できると思わせないと何も始まらない。だからこういう話に時間を割いていた。
まっそんな感じで、生徒の(自分はダメだという)マインドを変えること、余裕で塗り替えられる事実を擦り込ませること、そして、私自身がその生徒と同じ知能になってみることで成績を向上させた。
成績下位の生徒を急上昇させるポイント
- 上記の話をしてマインドを変える
- 生徒の視線に立つ(生徒の脳みそになってみる)
- 異常な反復をさせる
当時は生徒の成績を伸ばした実績はなかったし、これがいわば初めての経験だったけど、私なりに勝算もあった。というのも、私自身がとてつもなく勉強ができなかったからだ。だから、理解するために他人の何倍もプロセスを踏む必要がある。
最終到達点(公式などを理解し、解けるようになるまで)までのプロセスを学校では時間の都合や中間層を意識した授業で3段階しかプロセスを踏まないとしたら、私はそのプロセスを10段階にまで細分化して教えた。とにかく面倒くさいし、本当に根気なので、高いお金をもらわないとできない所業だったと思う。
このおかげで破格の時給3200円が起きたし、私がやめる時も親御さんからは私からの推薦の先生を紹介してくれと何度も言われた。
本当にここまで話すと武勇伝になってしまうのだけれど、正直言ってこれ以外に私は才能を感じたことがない。せいぜい習字くらいか。習字も生まれつきそれなりに書けた。
ピアノは長いことやってたけど才能という才能はなかったし、勉強に至っては本当に才能がなかった。とてつもなくなかったと思う。周囲の友人と比べても比較的勉強をしている方だったけど成績は下位だった。つまり、ピアノ・勉強(あとスポーツ)に関しては才能がなかった。
逆に、喋ることと書道には一定の才能があったように思う。だから、今後はこれを活かして仕事もしていきたいし、これを活かして実生活も送りたい。本当に何気ない(半分自慢めいた)エッセイになったけど、この場でしかこういう話はできない。だから許してくれ。
私はとにかく喋り足りない。人生において、喋り足りない。どうしても喋りたいという欲求がある。だから週に1度でもジムに通うような感覚で集団授業をもてるような受験業界に突っ込む人生を歩もうと思う。弁理士は本業。
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