どうしてもマルチタスクができない
一点集中っていうと聞こえが良いんだけど、とにかくマルチタスクができない。複数のことがどうしても同時にできないのだ。1つ大きい悩みを抱えてたりすると、それを横に置いてちゃんと集中するっていうのがどうしてもできない。そんな感じ。
マルチタスクがうまい人もいるよね。だけど、どうしても無理だなと最近痛感する。色んなことに心がかき乱されると途端に集中力は落ちるし、自分ではサボっているつもりがなくてもアラだらけの仕事の成果になる。これが私。
色々あって、よーく気づいた。確かに人生を振り返れば2つ以上のことを並行して考えることは苦手だったかもしれない。例えば、料理をしながら話を聞いたりするのも苦手。最近流行ってる音楽の話をしながら人参の皮を剥いてると、つられて「人参」って言ってしまうくらい苦手。これは例えとかじゃなくて本当にそうなる。
何か文字を起こす時も、あまりに難解な内容になると字がかなり乱れる。字を綺麗に書こうとする意識と難解な内容を理解して文字に起こそうとする意識が混在して綺麗に文字が書けなくなる。会社で電話を取って電話越しに聞いた内容のメモを取ることも苦手。
とにかく、マルチタスクがどうしてもできない。こういうしょーもない話から人生におけるマルチタスク(並行作業)までとにかく全てが苦手。「両立」というのがうまくできない。どうしても一点集中になってしまう。同じ時間に2つ以上のことを同時に考えることができない。
そんな人間でも時々刻々と時間は過ぎるし、やらないといけないことが1つに収まるほどゆっくりと時間は進まない。だから、そういう私みたいな人間には「メリハリ・切替」がより一層大事なんだと思う。メリハリをつけた生活を心がけたい。それが最近一番思うこと。
興味を失った途端、もうどうでも良くなってしまう
「全てから解放されたい。」多分そんな気持ちで毎日を生きてる。そんな感じがする。そして、我慢して我慢してできる限り興味を持とうとするんだけど、「違うんだよなあ。こういうことがしたいんとちゃうんだよなあ。」っていうのが続く。低温火傷みたいに気づかないうちにどんどん身体が侵食されて致命傷になる。
興味を失う。→興味を持とうとする。→でもやっぱり無理。→興味を持とうとする。→でもやっぱり無理。
もうどうでも良くなってしまう。こういうことがしたかったんじゃないんだよと。毎日こういうことをしたくてここにいるんじゃないし、こうやって生きるのが自分の本望じゃないんだよと。どうやって生きたいのかな?何がしたいのかな?よーーーく考えた。
楽をしたいんじゃない。ずっと自分は「楽をしたい」というのが自分の人生のテーマだった気がする。特に20代までは「楽をしたい」が最も大事なテーマで、何かをしてみたいということはあんまりなかった。とにかく省エネで生きてきた。
何がしたいんだろう?改めて自分に問う。どうして弁理士になりたいと思ったんだろう。理由を挙げれば2つや3つではきかないくらいある。自分の思ったことを吐き出せるプラットフォームで全部書いていきたい。前にも言ったことがあるような気がするけど。
- 何者かになってみたい
- 辞めたいときに辞めて働きたいときに働きたい
- 世界一周をしてみたい
- 英語とサイエンスを掛け合わせた仕事に就きたい
- 不安定さから解放されたい
もっとあるけど、きっとこの辺だと思う。この辺が混沌とした感じで煮詰まって「弁理士になりたい」になったんだと思う。
何者かになってみたい
そう何者かになってみたい。今の仕事ではなれないのか?うん、きっとなれない。仕事に優劣はないし、貴賎はない、、、というのは建前で、やっぱりあるような気がする。それは自分が持ってない(=社会的地位が高くない一般の仕事をしている)からそういう風に思うのかもしれないけど。きっと、人は「もつ」ことで満足する。満足したら、もうどうでもいいやってなると思う。だから、この気持ちはもしかしたら弁理士の資格に合格したらもうどうでもいいやってなるような気もする。でも、今は受かってないし、ただのサラリーマンだから、もうどうでもいいやってなれない。
人生は一度きりなんだから、得てみて、もってみて、もうどうでもいいや。ってなってみたい。単純にそれだけ。もうどうでもいいやって感じてみたい。
辞めたいときに辞めて、働きたいときに働きたい
社会をなめとるんか!って言われるかもしれないけど、例えば、医師免許を持ってたらきっとこういうことはできると思う。もちろん医師としてのキャリアに傷がつくとかそういうのはあるのかもしれないけど、別にキャリアにそれほどのこだわりは自分にはない。私は人生において、仕事は”サブ”であって、人生を楽しむためのツールに過ぎないと思ってる。
長い人生において、働かない期間があってもいいじゃんかよと思うのだ。でも、それと同時に働かない期間を設けるためには、いつでも戻れる保証・その状況を作る努力も同時に必要だと思うんだよ。だから、難関資格を取って実務経験を積む必要がある。そんな風に思う。辞めても食いっぱぐれないように。
世界一周をしてみたい
そう、一度でいいから世界一周をしてみたい。それも単独で、世界一周をしてみたい。いつからこれを思うようになったのかわからないけど、半年で良いから世界を回ってみたい。私にとって唯一の夢かもしれない。他のことはそれほど正直大きい夢じゃないかもしれない。この仕事に就きたいとか、こういうことをしてみたいとか、そういうのは今まであんまりなかった気がする。というかなかった。半年で叶えられる夢なんだったら安いもんだよねって思うのだ。そのためにも弁理士になる必要がある。せっかく地球に生まれたのに一周もせずに死ぬのは辛い。
英語とサイエンスを掛け合わせた仕事をしたい
英語とサイエンスを掛け合わせた仕事をしたい。そう思うようになった20代の終わり。TOEICの勉強を趣味でしていて、仕事で化学の専門書を読んでいて、「これが掛け合わさった仕事って何かな?」と思って見つけたのが弁理士。だから弁理士になりたい。
不安定さから解放されたい
いつまで受験業界があるんだろうか?少子化もすごく進んでる。自分が生まれた頃の子供の人数と今の赤ちゃんの人数を比較すると、今の赤ちゃんの人数は6〜7割ほどらしい。本当にここ2〜30年でも少子化は進んだ。
それでいて大学進学率はこれ以上上がる雰囲気もないし、私立大学は半分以上が推薦入試。おまけにお金のない現代社会に生きる子供たちはみんな現役志向。そんな中でいつまで予備校という業界が続くんだろう?40歳になって、50歳になって放り出されるかもしれない。50歳で放り出されたら残り10年間稼ぐこともできないし、じゃあ60歳になった時どうするのって。
一生60歳の定年を迎えたとしてもそれなりに稼いでいける力があれば安心じゃないかと思ったのが資格職を志すきっかけとなった。
長々と書いたけど、自分の人生は自分でしか切り開けない。何かを思い立った時は72時間以内に行動しないと永遠と行動しないらしい。だから、私は動くことにする。今日、動くことにする。
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