アラサークライシス。30歳から友達を再定義しよう。幸せとは。

雑記

どうもアラサーです。

どうもニシジマです。ブログでも書いて寝るかと思い、したためています。まあ文字を書いてるとなんだかんだ落ち着くよね。思ってることを言葉にするって結構大事だと思うんよ。だらだらだらだらだら。

弁理士試験の勉強すらしてなかったら日々何してるんやろうね?いやあ英語の勉強かな。なんだかんだ、独身の30代というのは多分暇だと思う。仕事が忙しいといっても週休2日あるし、じゃあ誰か30過ぎのおっさんの相手をしてくれるかってそんなことはなく。

まあガールズバーとか流行るのもそういうこのなんかなあ。一回旅行先でガールズバー行ってみたけど全く面白くなかったな。で、今回は、何を書こうかな…と思ってて、アラサークライシスについて。

アラサークライシス。勝手な造語だけど、アラサー独身ってマジでクライシスですよね。いや、ほんまにヤバい。学生時代に友達がたくさんいたとかあんまりいなかったとか関係なく、30近くなると、もしくは過ぎるとマジで交流がある友人っていうのがいない。

かくいうニシジマも年々減ってきているなと薄々は気づいていたけど、去年マジで0になった。

というのも、仲の良い友人みんな結婚したり、転職で東京に行ったりみたいな感じで…。で、去年、一時完全に0になった。0になってみて改めて気づいたのは、わしはさみしがり屋だと笑

学生時代は割と独りでいる時間が好きで、独り好きなのかな?と自分自身思ってたんだけど、それはあくまで毎日・毎週友人と会っていて、単純に周りの環境に恵まれすぎていて、独りの時間も欲しいって感じだったんだなあと。

そういえば、仲の良い友人も歴代彼女さんもみんなおしゃべり好き、というか永遠と喋ってるなと言われていたけど、確かに思い返せば永遠と無駄口叩いてるタイプで、グダグダ意味のない話を永遠としているのが好きなタイプなのだなと。

予備校の林先生の本に、「仲の良さと飲み会の時間は反比例させよ。」みたいな話が書いてあったけど、全く賛同できなかったわ笑 いやわかるよ。仲の良い人たちと飲んでる時間って単なるぬるま湯で時間の浪費なことは。

でもさ、結局のところ人生って「幸せをどれだけかき集められるか」みたいなところあるやん。

「幸せ」を「成長」だと思えるタイプの人はそうなんだろうね~と思いながら本を読んでたけど、私自身はそうは思わんわ。無成長はつまらないかもしれんけど、成長もそこそこ、お遊びもそこそこくらいでぬるま湯に浸かりながらバカ話しつつ、ちょいちょい勉強したりしてるくらいがジャストだわなーと。

30歳からの友達の再定義

30を過ぎると激変する。激変とは、周りの知人・友人関係がどんどん変わってくる。つまりは、結婚組も増えてきて、中には子供をもつ家庭もできてきて、みんな主体が「友人」から「家族」に変化していく。そのせいもあるし、仕事が忙しくなることもあってどんどん友人関係は希薄になる。これは仕方ない。そういう世代が30代なのだと思う。

だから、いつまでもぐーたら飲みに行こうぜーなんてことはやっておられず、自分自身の人生を再考するタイミングがやってくる。それが30歳。

ここで、「俺(私)は一生独りでOK!」と心から思えるタイプはそのまま続行していけば良いのだけど、私自身はそれはまずい気がする…というのが最近の考え。

まずい…。まず過ぎる。結局、さみしがり屋なのだなと再認識する初春の夜。

幸せとは

そう考えると、幸せってなんだっけ?って感じになってくるよね。幸せなんて人それぞれ違いすぎて、心の底から独りで居ることに幸せを感じるタイプもいるし、成長して見れない世界を見ることを幸せに感じる人もいるし、タワマンの最上階に住むことを幸せに感じる人もいるし、年収が他人よりも高くなることを幸せに感じることもある。

だから、自分の幸せは自分で決めていいけど、他人様の幸せを自分の幸せの物差しで測ろうなんて本当に傲慢だよねとは思うよね。そんな風に考えると、幸せっていうのは、まあ人それぞれなんだから思うように生きればいいじゃんかと思うようになる。

ここで、大事になってくるのは、幸せの指標を世の中の軸にしないことなんじゃないかなと。これは自戒の意味も込めて…って感じになるけど、今の世の中は幸せの軸をあまりに外に求めすぎというか、自分で、自分がどうすれば幸せに感じるかをわかってない人達が多すぎる気がする。まあかくいう自分もそうかもしれないけど…。

自分指標の幸せ軸をしっかり持ってるタイプの人は、どう生きれば良いのかをしっかりわかって良い意味で我が道を進めるけど、そうじゃないタイプは承認欲求お化けになったりする。

まあ小さいころから、勉強しなさい、競争社会です、良い大学に入りなさいみたいな教育を受け続けてしまった弊害なのかもしれないけど、そうやって無思考に社会における幸せみたいなものに自分の人生を沿わせ過ぎたせいで、自考力が失われてたりもするのかもな~と思ったり。

まあ難しいよね。じゃあ好きに生きてみな~なんて言って適当に好きなことばっかりしてたらまあ人生破綻するしね。はっきり言って。だから、競争社会に揉まれつつも自分で考えることを忘れない柔軟な人間だけが幸せを掴めるのかもね。それか、ものすごくアホになってどんな人生にでも幸せに感じられる人生観をもつか。

まあ、何にせよ、どんな道を選ぶにせよ、自分の思う方向に進めば良いんじゃないかとは思う。最低限死なないくらいの稼ぎは作りつつ…。

この記事を書いた人

人生に惑うアラサー。このままでええんか?と一念発起。本屋で知財検定と出会い2級に合格。2021.3.15から弁理士試験の勉強スタート。R4は25点、R5は38点。R6必須論文合格、選択科目落ち。R7最終合格!化学科卒業後に予備校に就職。化学を担当。twitterID : @nishijima1029

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