30歳を過ぎて感じる、人生への飽き。
どうもニシジマです。アラサーは絶妙な年代で、特に毎年27だなとか28だなとか思わないんだけど、30歳になったなときは若いという世代ではなくなったなと思った。
10代の頃を思い返すと、20代はお兄さんって感じだけど、30代はおじさんって感じだった気がする。だからもう高校生からするとおじさんの部類に入ってしまうのではないだろうかと危惧している。危惧しているというかまあそんなもんだよな。と受け入れ体制ももはや整っている。
ところで、30歳になると人生に飽きてくるという話だけど、人間30年も生きてると大体のことはやってしまってる。ゲームも熱中してやってた頃もあったし、小説にはまることもあったし、友人を作ったり、居酒屋に行ったり、バイトをしたり、恋愛をしたり、受験勉強したり。
まあとにもかくにも大体のことをし終えてしまった。そんな気がする。本当はそんなことないんだろうけど。そして、もう何がやってきても一度見た映画をもう一回見るような感覚になってしまって何にも興味を持てなくなる。それが30歳。
こういうことに抗おうとするために最近、物理の勉強を始めた。正確には化学の専門書を読んでるときに物理の内容が絡んできてよくわからんなあと思ってメルカリで高校物理の参考書を色々買ってみた。大学受験は物理・化学で挑んだので、大体10年ぶりくらいに物理と久々ご対面という感じ。
久々に高校物理の熱とか電磁気の内容を読んでると、当時はそこまで考えてなかったなと思うような色々発見もあったりして面白い。多分、予備校でずっと化学の模試を作ったりして色々考えたりすることで考える力がついたんだと思う。
とにかく、30歳以降を生きていくためには”新しいこと(自分の知らない世界)”に踏み込んでいくというのが大事なんだと思う。そういうのがどんどん億劫になってもう知ってる映画ばっかり見てるので十分だという気持ちになるのも痛いくらいわかるけど。
大きく挑むのではなく、小さく挑んでいけばいいじゃないか。
人間は元来変化に弱い。変化するのは予知できないことが起きうるから命の安全を守るために変化を嫌う性質が元々あるらしい。
あと、元々人間っていうのは競争して生きようとする種族ではなくて、他の動物と同じようにのんびり生きる動物なんだという話も聞いたことがある。特殊な勝ち気な性格の馬が競走馬となったりするそうで馬も競争するよりも調和でのんびり生きる優しい生き物なんだとか。
まあそんな感じでとにかく人間は変化に弱い。自分はどうだろうかと考えてみたら、私は人一倍変化に弱い。昔から内容を知ってる映画を100回も200回も見るタイプの人間だった。とにかく内容を知っていると安心なのだ。面白くて見ているというわけでもないんだけど、何だか安心する。
この後急に大きな音が流れるよねとか、この人この後殺されちゃうよねとか、液体窒素で凍っちゃうよねとか、ラブシーンはこのタイミングで入ってくるよねとかそういうのがわかっていると安心して映画を見れるのだ。親には「あんたよく飽きへんな。その映画ばっかり見て。」と言われていた。
「この後、シュワちゃんが凍ったターミネーター撃つんやけどな。それがあだとなるんよ。」
「知ってる。」
大体こんな会話をしていた。なので、できる限り穏便に静かにのんびり変化せず生きていきたいと願って日々過ごしている。
とはいえ、そんな風に生きていると「あああああ。もうダメかもしれない。」という気持ちになる。何か面白いことは起きないだろうかと考えてしまう。待ってても何も変わらない。非常に残念ながら何も変わらない。20代の頃は働くのは初めてだし、居酒屋で友人と飲むのも初めてだし、大学に通うのも初めてだったし。だから何もしなくても”新しい”を感じられて楽しかったような気もするんだけど。
そこで30代の人生に飽きたあなたに小さく変えることをお勧めしたい。小さく変えるというのは例えば物理の勉強を始めてみるとか。化学の専門書を読むために物理の知識が必要だなと思って始めたんだけど意外に読んでると楽しい。別に勉強じゃなくてもいいんだけど、何か能動的になってちょっと何かに取り組もうとすると人生は面白くなるんじゃないかなと思ったりする。
私も予備校で働く中で生徒の前で話すときにあまり何も考えずに機械的に話してしまっていることもあるけれど私自身の人生を面白くするために少し工夫をして何の話をしようか?などと考えてみるのもいいのかもしれない。別に転職とか退職とか引っ越しとか結婚とかそこまで大きくなくても日々の生活を揺るがさずにできる変化はたくさんあると思う。
別に婚活とかマッチングアプリでも良いと思うんだけど、婚活やマッチングアプリで人とやりとりをするのももう飽き飽きしてきて「また趣味は何ですか?どこに旅行行かれたんですか?かよ!!!」と思うかもしれないが、そうじゃなくて、視点を変えてみて、こうしたら話が続くんだなとかこうしたらうまくいろいろ運べるなだとかそういうことを研究するというか、まあつまりは能動的に取り組むってことなんだと思う(結婚したら人生めちゃくちゃ変わる気がする。結婚が良いか悪いかはともかく。)。
とにかく自分が少しでもこうしてみたいと思う気持ちを大切にしてそれをするためにどうしようかと一歩進めてみるのがいいんじゃないかなと思ったりする。
私はすぐ忘れてしまうので、これをしたいとかこれが好きと思ったことはメモをすることにしている。本当にしょーもないことなんだけど、歳を取ると心がとにかく動かなくなってくるので、少しでも心が動いたときにサッとメモをすると良いと思う。心の機微をメモる癖をつけるのが生きるコツなのかもしれない。
私の最新の”好きなもの・好きなことリスト”には、「競馬メダルおもろい」と書かれていた。これは、いつぶりかわからないくらいにゲーセンに偶然行った時にメダルコインで競馬をするゲームがあって、馬連で掛けていたら何百枚も当たってしまって、これは面白いなあと思ったのでメモってみた。
本当に下らないんだけど、こういう風にメモをすることで、「あああああ。もうダメかもしれない。」のときに「あぁ。競馬メダルしに行こう。」みたいになるので心の安寧のためにおすすめ。
縄文時代はみんな15歳で死んだ。
縄文時代の人たちの平均寿命は15歳くらいだったらしい。江戸時代でも平均寿命は31歳くらい。みんな今よりもずっと短い生涯を送ってきた。もちろんこれは生まれてすぐに死んでしまう場合が多数を占めるので、実際は幼少期を生き延びた場合は40歳とか50歳くらいまで生きることが多かったらしいけど。それでも人生40年、50年。
アラサーの私たちならあと10数年で死ぬことになる。となると、人生の全てが新しいことづくしかもしれないが、私たちは80歳まで生きる可能性がある。いや、死ぬかもしれないけど。どうせ生きるんだったら、少しくらいは重い腰をあげてみて新しい世界を覗いてみたら良いんじゃないかなと思ったりする。歳をとるとどんどん半径5mで生きようとしてしまうのが人間の性なのかもしれないけれど。
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