もう脂身を食べられない。
先日お取り寄せした霜降り肉4切れほど食べたら胃がもたれて冷凍庫にラップして閉まってしまいました(後日に解凍して冷麺の具にして美味しくいただきました)。
人生って意外と短いんだなとか、有限なんだなとかってひしひし思うんですよね。多分、20代の頃って老けないじゃないですか。心も身体も。体力もまだまだあるし、脂身の多い肉を食べても全然胃がもたれずに次の日もちゃんと朝ご飯食べてたし。
どうせ100年も経てばみんなチャラ
100年も経てばみんな死ぬ。150年も経てば自分のことを知ってる人もみんな死ぬ。150年も要らないかもしれない。そんな感じで、この世界に跡形を1mmも残すことなく大体の人は死ぬ。死んだらどうなるんかな?と思ったりするけど、多分、自分が生まれる前、意識がないというか何もかもの感覚というか知覚というかそういう全てがないような状態と同じで、本当に『無』なんだと思う。多分何もない。だからまあ、すごく長い何十億っていう地球の歴史のうちのたった0.00000何mmかの一瞬の世界、たまたま20世紀、21世紀の2000年前後の世界を見させてもらって死ぬことになる。
無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無『有!』無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無……
みたいな感じ。
だから根本的な話をすると、全てのことは無意味で、まあ弁理士試験に受かろうが、仕事辞めて旅に出ようが、結婚しようがしまいが、もう本当にすべてのことは無意味で、無意味なくせに頑張って仕事をしたり、家族の世話をしたり、勉強したりして日々を過ごしてる。何で無意味なのにそんなに苦しいことばかりするんか?って話なんだけど、結局のところ最後の最後は『自分が自分に納得するかどうか』に尽きると思う。まあ納得しようがしまいが死ぬときは死ぬし、どんだけ偉くなろうが死んだらチャラだし。
死んだらチャラで、無意味だっていう言葉は、人に依っちゃあ悲観的に聞こえるだろうし、人に依っちゃあ楽観的に聞こえると思う。私としては楽観的な意味合いで「(死んだらチャラなんだから、)生きてる間に好きなことしーや。」って言ってるんだけどね。まあ”チャラ”をどう捉えるかって話ですわよね。
夏に蝉の死骸を見て虫の命の儚さに感傷に浸ったりするときもあるかもしれないけど、屋久島の縄文杉に「お前の人生も落ちてる蝉の死骸とよく似たもんやで。」って言われそうな気がする。屋久島の縄文杉も地球という歴史に「お前の人生も落ちてる蝉の死骸とよく似たもんやで。」って言われそうな気がする。
まあ落ちてる蝉の死骸も生きてる時は、7日後に死ぬことに気づいてるかどうかは知らんけど、とりあえず一生懸命鳴いてる。まあ鳴いたとて7日後には死ぬわけで、死んだら”チャラ”になっちゃうんだけど、じゃあせっかくの短い7日間を「いや、ぼく7日後に死んじゃうんで…良いっす。」って言って死んでいくのか、「7日後に死ぬんですけど、一回くらいちょっとセックスしてみたいんすよ。だからちょっと頑張って鳴いてみますわ!」っていう差だと私は思うわけです。どっちにしろ死んじゃうんですけどね。だからまあ、行きつく終点はみんな同じだけど、『自分が自分に納得するように』生きてみたいって思えたいみたいな感じですかね。まあ失敗してもいいじゃないですか。一回こっきりの人生ですし。
飲みに誘ったらええやん。転職してみたらええやん。インド行ってみたらええやん。どうせ死ぬし。どうせチャラやし。
1000万払って10年前に戻れるなら払いたい
やり直さなあかんことは腐るほどある。今思ったら、あんな大学生活送るべきじゃなかったとか、あの時間のあるタイミングでこうしてればよかったとか、違う学部を選んでおけば良かったとか、まあ小さいことから大きいことまで。もし戻れるんやったら、やり直さんなあかんことはたくさんありすぎる。
まあでも、後悔先に立たずで、若い時ほど時間が有限なことに気づきにくくて、一生若い気がしてしまう。私も20歳の頃は一生若いと思ってたし、30とか40の自分は全く想像できなかった。『若い』という価値を理解していなかった。若い時に自分は若いんだななんて思えるそんな殊勝な考えなんて1mmも持ってなかったし、本当にその日何となく過ぎて何となく面白かったら良いやくらいにしか思ってなかった。そんなしっかりした人間だったらもっと若い時にしっかり色んなことに挑戦して、もっとちゃんと生きてたような気がするし笑
まあ、でもそんなことはどうでも良いっちゃどうでも良いんですよ。はっきり言って。時間なんて巻き戻らんし、結局のところ、過去は変わらんし、全部今からだし。
人生800万年続くという思考から、実はめっちゃ短いやん!っていうこと。それから、過去は変わらんし、全部今からということ。この2つに気づくのが20歳なのか、30歳なのか、40歳なのか、いつなのか?って話だと思うんですよ。
だからまあ、ごちゃごちゃ言ってないでとりあえず今、現状を受け入れようと。まあ今まで生きてきた総決算が今日の自分ですから。良くも悪くも。で、次どうするん?また10年後の自分に「1000万払って10年前に戻れるなら払いたい。」って言わせるつもりですかと。まあどんな生き方をしても1000万で10年巻き戻せるんなら巻き戻すけどな。何か必死こいてがむしゃらに人生生きていく必要はないけど、まあ張りが出る程度に多少は何かに向かってた方がええんちゃうかな?みたいな感じ。いつかやろうとか言ってたら死んでまいますよ。今の自分は10年後の自分が1000万払っても戻りたいと思う自分なんですよね。10年後の自分からしたら手元に1000万円持ってると言ってもよい。でもこの1000万円は毎日1万円ずつ減ってしまう1000万円なんですね。だから、溶けてなくなる前に価値のある何かに変えないといけない。
受動的に生き続けると逆にしんどくなる。
楽しようって思っちゃう性格なんだけど、楽するじゃないですか。今日も仕事に行かず、家でゆっくり。これって幸せじゃないですか。明日も仕事に行かず、家でゆっくり。これも幸せじゃないですか。でも、これを続けると、こういうタイプの幸せってすぐに飽和しちゃうんですよね。飽和して逆にしんどくなる。あれ?これって死ぬのを待ってるだけじゃない?って。
だからってめちゃくちゃ活力的に生きられるかっていうとそうでもないんだけど、自分の人生を生きるにあたって、ほんの少し挑戦的になって能動的に生きることで「あ!生きてるかも?」って思えるようになると。どんな生き方をしてもどうせ死ぬ方向にしかいかないんだけど、せめて死ぬのを待つような生き方はしたくないなと思うようになりました。それもこれも人生は有限なんだなと気づいてからです。きっと人生が800万年続く(無限)っていうのが決まってたら「死ぬのを待ってるだけ」という感覚にも襲われないから、頑張ることを後回しにしちゃうと思うんですよ。だから私はできるだけ早い段階で人生が800万年も続かない、有限だってことに気づけるかが人生を楽しむヒントなんじゃないかなと思うんです。
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