自分の人生に集中してなさすぎる
嫌なことがあるから集中できないはウソ

今日のお話は、「自分が頑張ろうとしていること以外が気になるのは、集中してないから。」という話です。「他人が気になって集中できない。」とか、「嫌なことを言われたからやる気が起こらない。」とかあるじゃないですか。「それ、単に自分の人生に集中してないだけだから。」というお話です。
結論、「嫌なことがある→集中できない」じゃなくて、「そもそも集中してなかった」です。今回の記事のまとめはこんな感じです。
- 飲み会の後、一人反省会する奴はヒマ(相手の価値観の方程式に介入するな)
- 誰もあなたに興味がない
- 集中したら、他のこと全部帳消しにできる
どうも、ニシジマです。弁理士試験、論文式試験(選択科目)民法が近づいてきました。最近は頭の中の半分くらいは民法で占められています。頭の中の半分くらいが民法で占められているときに感じていることを例に今日のテーマを解説します。
少し前まで新卒からずっと予備校職員をやって、生徒の学習相談に乗る仕事をしていました。予備校職員時代に、生徒から「嫌なことがあるから集中ができない。」という主旨の相談を受けることがありました。
この質問をよくされていたことを思い出して、自分が民法直前期になってきて、頭の中の半分くらいが常に民法で占められている状況になってあることに気づきました。「嫌なことがあるから集中できないんじゃない。単に勉強に集中してないからだ。」ということです。嫌なことがあるから集中できないんじゃなくて、元々集中していない状況にあったときに、たまたま嫌なことがあったんですよ。
殺されそうになったら人の悪口なんて気にならない
強盗に首にナイフを突き付けられて「殺すぞ!」って脅されてる時に「〇〇さん、お前のこと嫌いやって言ってたらしいで。」って言われても、「え?今w?いや殺されそうでそれどころじゃないんやけどw」ってなりませんか?
殺されそうなときに「〇〇さんから嫌なこと言われた!何であんな言い方されなあかんの…?」とか「〇〇さんにあんな言い方してしまったけど、気にしてないかな…?」とか思わないんですよ。「どうか、殺さないでください!」としか絶対思わないんです。それは自分の生命に全力で集中してるし、執着してるからです。他のことなんて全てがどうでも良くなるんですよ。
大病を患った状況でも溺れ死にそうな状況でも良いです。どうにか治る方法を模索したり、文字通り死ぬ気になって水の中をもがくんだと思います。「死にたくない!」という思いで頭の全部が占められて、「〇〇さんに嫌われてるんや…(´;ω;`)もうあかん…。今ちょっと溺れてるけど、〇〇さんに嫌われてるんやったら、さすがにもうもがくのやめよ…。」とはならないんですよ。それは自分の生命に全力で集中してるし、執着してるからなんですよね。
さっきの生徒の質問に戻りますが、もし、落ちたら殺されるんなら、「嫌なことがあって集中できません。」なんて質問はそもそも出ないんです。つまり、心の底から本心で受かりたいとは思ってないんですよ。「落ちたら死ぬ。」と思ってないから、執着してないからそういう質問が出てくるんだなと気づきました。「受かったらいいな。」程度の気持ちしかなかったらそりゃあブレますよ。という話。「落ちたら死ぬ。」は大袈裟だとしても、「落ちたらもう一回これするのか…。」というネガティブなモチベーションやリアルな感覚がなさすぎるんだと思います。
嫌なことがあるから集中できないんじゃない。元から集中してないところに嫌なことが起きただけ。
飲み会の後、一人反省会するヤツは全員暇

先ほども述べた通り、頭の半分くらいを民法で占めている状況になると、普段なら気にしてしまう他のことがどうでもよくなるんですよね。人間が意識できる量っていうのが本来決まっているんですよ。
脳にこびりつくように「今年マジで民法受かるんか…?」とか「さっき書いた論文の民法で、何で詐害行為取消が思いつかなかったんやろ?」とか常に考えて、悔やんでるんですよ。常に頭のどこかに民法がある感じで、民法以外の現実世界はどこか上の空って感じの状況になるんです。まさに「夢中(夢の中)」ってやつだと思います。強迫観念とかそういう類のやつで今、私は、「民法」という夢の中にいるような感じです。それでもまだまだうまく論文が書けません。
何かに「夢中」になっていると他の全てがどうでも良くなるんですよね。部屋の散らかり具合もどうでも良い。他人が自分のことをどう思ってるのかもどうでも良い。ご飯の栄養バランスもどうでも良い。全てがどうでも良くなります。考えたところで民法の点数が上がるわけでもないんですが、常に頭のどこかにこびりついているような感じです。そういう生活を続けていると、民法の論文を書く夢を見る精神状態になってきます。そして、朝の4時とか5時に目覚めたりします。大体、私が夢中ゾーンに入る流れはこんな感じです。
- 試験3か月前:撃沈。布団から出られない。数日間全く動けなくなる。
- 試験2か月前:覚醒。目が覚めてしまう。悪夢。不眠。口内炎。目の痙攣。噛み締め。禿げる夢(禿げ方はメンタルの深刻度に依存)
先日は、「提出した民法の論文用紙が臭いから採点しません。」と突き返される全米が泣くレベルで哀しすぎる夢を見ました。あとは、家にある時計が全部狂って、何時かわからずに会社に遅刻する夢も見ました。正夢になりそうです。今朝は、頭の右側が禿げて「さすがに禿げるわな。」と納得するという哀しすぎる夢でした。
今の私は試験に受かりたいというか、もうこれ以上落ちてまた、受験勉強するのはもう絶対嫌だという気持ちが近いです。受験勉強ってほんまに辛いんですよ。勉強してるのがしんどいとかそういう次元じゃないんですよ。試験以外のすべてにおいて「時」を止めることになり、楽しい全てを捨てるのがきついんです。世界がモノクロに見える感じです。
こんな夢の中にいる人間にとって、外の世界ってどうでもよくなります。裏を返すと、「嫌なことがあって集中できない。」というのは自分の意識が(嫌なこと)>(試験合格)程度にしか、試験合格のことを捉えていないから、そういうマインドになるんです。良いじゃないですか。全員に嫌われても合格したら。全部失ってもいいじゃないですか。
受かった後、全部取り返せば良いし、受かった後に取り返せなかったものは取り返す必要もなかったちゃちいものだったということです。そもそもあなたは全部取れるほど器用じゃないでしょう。全部取ろうとしたら、全部頓挫しますよ。一つずつ取っていけば良いんです。今はその他のすべてを捨てるときなんだと思います。「あなたは暇だから集中できるんだ。」「何も抱えてないから集中できるんだ。」と思われるかもしれませんが、違います。全部捨てることにしたから集中できるんです。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれです。
先人の合格者も嫌なことがあった日もたくさんあったと思いますよ。でも、彼らは(嫌なこと)<(試験合格)だったんです。死ぬ気だったから、気にならなかったんですよ。
人間って悩みたい生き物なんですよ。だから、どれだけストレスフリーな状態になったとしても、結局、また悩もうとする。暇人になればなるほど、自分の人生にフォーカスしてない人ほど、他人が気になってきて、一人反省会が始まるんです。逆説的ですが、身軽になればなるほど一人反省会をするようになるんです。
身軽な人間ほど、暇だから一人反省会をする。一人反省会をして、病む。
飲み会の後の一人反省会ほど非生産的なものはない

そもそも論で、他人が考えてることを考えようなんていう、エスパーみたいな思考の権化である一人反省会ほど無駄な時間ってないんですよ。だって、他人が考えてることなんて何もわからないですから。結局、どこまでいっても想像の範疇を超えないですし、どこまでいっても本人に訊くまで答えがわかりません。考えても時間の無駄です。考えても無駄ですし、ある程度の配慮を尽くした以上、あなたの発した言葉で他人がどう思おうと、もはやそれはあなたの責任ではなくて、それをどう捉えたかの相手の問題です。
人それぞれ異なる価値観があって、各個人に「価値観の方程式」があるんです。あなたが、相手に何かを発言します。相手の「価値観の方程式」にx=3とかx=8みたいに何かを代入するんですね。そしたら、相手は、あなたの発言であるx=3とかx=8を代入した結果、yを勝手にはじき出して、勝手に喜んだり、不快に思ったりするわけです。
つまり、あなたができるのは、相手の「価値観の方程式」のxに、x=10000とかx=0.000381などの暴挙的数字を放りこまない配慮です。x=10000を放りこんだらそれはあなたの責任でしょう。相手が怒るのも最もなわけです。でも、x=3とかx=8を放りこんで相手が怒ったのだとしたら、もはやそれはあなたの発言(x=3とかx=8)が問題なのではなく、相手の「価値観の方程式」がぶっ壊れていたというだけなんですね。他人の「価値観の方程式」に介入することはできません。一人反省会とは、何度も何度も、あなたの今日の発言であるx=3を、どんな方程式なのかもわからない他人の「価値観の方程式」を妄想して、代入し続ける行為です。いつまで経ってもyはわかりません。
社会通念上、xは2<x<9くらいが妥当だなという感覚をつかんで、あとはそれを放りこむだけです。あなたができる手立てはそれ以上ないんです。ホストとか相手の心を掴む人たらしは相手の「価値観の方程式」を即座に理解し、逆算をして、最適なxを代入するんですね。そこまでできなくても、社会通念上、妥当なxを放りこめてたら十分ですし、yを想像する意味自体あんまりないんです。
相手の気持ちを考えるなと言ってるんじゃなくて、大体の当て感をつけたら、「こう思ってるかな?」「違うかもな?」くらいに留めることが大事で、それ以上考えるのはあまり生産性がないということです。
相手の「価値観の方程式」の問題か、自分が代入したxの問題かを切り分けましょう。考えても意味のないことってたくさんありますから。相手との関係をぶっちぎりたいなと思ったら、私はx=iとか突っ込みます。「虚数解出てきた…。」とドン引きしてもらえばいいのです。というのは冗談ですが、一人反省会で、未知のyを追いかけるという、雲を掴むようなことをいつまでも考えて時間を費やすのは「暇」だからですね。自分の人生に集中してないからです。何にも夢中になれてないからしょーもないことを気にする時間ができるのです。
そもそも誰もあなたに興味ないですよ。一人反省会している暇なヤツはあなただけで、他の人はみんな自分の人生に集中してますから。他人は他人に興味がないのが基本です。
一人反省会するヤツは優しいとか思いやりがあるとかじゃなくて、自分の人生に集中することができないから、代わりに暇つぶしをしてると思うんですよね。気遣いなんて、クヨクヨ悩まなくても10秒でできるはずですから。
他人の「価値観の方程式」なんてわからん。2<x<9を代入してたら合格。
病まない方法は大きな悩みをもつこと
多分、人間って身軽になればなるほど暇になって病むんですよ。暇だから一人反省会してしまって、病んでいくんですよ。でも逆に、重いタスクを課して、「ヤバいよな…。どうすればええんや…。」って、目の前のことに集中せざるを得ない状況になると、それ以外の全部を帳消しにできるんですよ。どうでも良くなるので。人が意識できるものの数って限られてるので。別に重いタスクを課すんじゃなくても良いと思います。自分の人生に集中するのです。集中力が足りないから病むんです。夢中になってみましょう。一つのことに集中すると、それ以外の問題を全部帳消しにできるというのは実は、集中することの隠れた最大のメリットなのかもしれないと最近思うようになりました。
一人反省会するヤツは何か集中できることを見つけようぜ。それが見つかれば、きっと一人反省会なんてする暇はなくなるから。何かに集中して忙しくしてる方が一周回ってメンタルって安定するんかもしれん。
集中する最大のメリットは、それ以外の問題を全部帳消しにできること
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