世の中は『無い』に目を向けがち
『有る』という気持ちって結構大事よなあと最近思う。忘れがちだし、実際すぐに忘れてしまうんだけど、『有る』ということを日々意識するのって結構難しい。
職場環境でも人間関係でも『無い(足りない・不満)』という感情はすぐに沸くけど、『有る(足りる・満足)』という感情は沸きにくいし、沸いてもすぐに忘れる。まあ人間ってそういう風に多分都合よく設計されてるんだと思う。だからこそ、『有る』ということに”多め”に普段から意識づけて生きることは結構大事だよなと思う。
会社の給料に対して不満を持つことはあっても、会社に対して日々働かせていただいてありがとうございますとか、もっと言えば、治安の良い日本に生まれてありがとうございますとか、そういうのって当たり前に”在り”過ぎて、普段は忘れてる。コロナ禍になって初めてマスクをせずに自由に生活ができたあの頃はありがたかったのだなと気づく。そんなもん。
だから、今一度初心に戻って、『有る』ということに意識を向ける時間をわざと作ってみることは大切だなと思う。自戒の念を込めてたまにはこういうブログも書きたい。ところで、この『有る』という感情は良くも悪くも作用するよなあと思ったりもする。『有る』という感情って、否定的な言い方をすれば現状に満足するという意味になるわけで、それ以上を望む向上心を削ぐ働きにもなるよなと思うわけで。
この『有る』と『無い』の感情のバランスが上手い人は向上心を保ちつつ、周りに感謝をしながら幸せな人生を送れるのかもしれないなと思うわけです。ですます調で書かないと言葉に気持ちが何か乗らんですね。私の文章は意外にですます調の方が乗ってる気がするので、やっぱりですます調で書こうとするか。
人の良いところに目を向けられる心を養いたい。
人間それぞれ得手不得手があるし、すべてのパラメーターがバラバラだと思う。知能も身長も学歴も社交性も体力も、とにかく全てがバラバラなのだから、バラバラなりに互いに認め合える関係性って良いよなあと思うんですよね。最近特に。
結婚してる、してない、子供がいる、いない、高学歴、低学歴。色々あると思うけど、みんなそれぞれそれなりに頑張ってまあ生きてるわけだし、特別誰かに迷惑をかけてるわけでもないし。別にお互い迷惑をかけてないんだったら、確かに優劣(?)はあるのかもしれないけど、度外視して互いに一人ひとりの人間として尊重し合えたら良いよなと思うんですよ。社会がどんどん貧しくなるとどんどん効率を求めるようになって、どんどん優秀かそうでないかの天秤にかけられてってそういう殺伐とした世の中になりがちだと思うんですよね。
この視点もやっぱり『無い』の視点だと思うんですよ。『無い!』『無い!』『無い!』って常に言われてる感じ。確かに社会を推進させていく上では、さっきも言ったように『有る』に気持ちを向けてしまわず、『無い』に気持ちを向けることで向上心を生み出すという方が生産的なのかもしれないけど…。
まあ仕方ないことなのかなと思うんだけど、プライベートにまでそれを持ち込んでしまってる感じがするんですよ。社会適応力をプライベートにまで持ち込んで常に測られてるっていう閉塞感。『有る』を見ずに『無い』を見る感じ。自分もじゃあプライベートにそういう視点を持ち込んでいないか?と言われるとやっぱりそういう視点で見てることも多かったりすると思う。だから自戒の念でこれを書いてるわけです。
社会で戦うときは『無い』に目を向けて、プライベートでは『有る』に目を向けたい。
今日は何かまとまりのない文章やなあ…。こう日々生きてると混沌とした渦みたいな感情が湧いて出てくるんだけど、そういう時にさっとパソコン開いて記事にできないからさあ。改めて夜中に「そういやあ最近こんなこと思ってるよね。」というのを思い出して書くと少し鮮度が落ちるんよね。またブログをちまちま書くのでよろしゅう。
コメント