当たり前が当たり前じゃなくなって初めて気づく
今日はどうしても寝られない。寝られないから眠くなるまで起きておく。
『いつまでもあると思うな親と金』ってよくいう。当たり前の存在が急になくなると本当に「え?」ってなって、なくなったことに対して実感すら湧かない。どうしてなんだろうな。きっと心の防御反応みたいなものなんだろうけど。徐々に理解していくんだろうな。こういうのはきっと。
こんな書き方で始まると、親が死んだのか?とか詐欺にでもあったのか?って感じだけど、そういうわけではない。だけど、まあ『いつまでもあると思うな当たり前』なんですよね。
失ってからしか気づけないアホさ加減
未経験のことを想像しろと言われても人間って想像できなかったりする。「親が死んだら悲しむだろう?じゃあ今、親孝行をしろ。」と他人から言われても、「いや、まあそれはわかってるんですけどね。ちょっと忙しくて。」なんて濁してしまう。
母親に「勉強しなさい。勉強していたら将来きっと役に立つから。」と言われても、子供にとっては将来なんて未来永劫来ないと思ってるし、一生子供なんじゃないかと錯覚してしまう。
親の庇護の下で生きていることが当たり前になるのはそりゃあ当然なんだけど、そこに気づけないから「勉強をしないと将来大変だな。」とはならない。そして、そういった子供がいつ気づくかわからないけれど、”将来”が段々と”今”に近づいてきて初めて気づく。「あぁ。勉強をしておけばよかった。」
そんな風にして、親が死んでから、自分が大人になってしまってから、恋人を失ってから、転職してからやっと気づく。「前の方がよかった。」とか「こうなる前にやることがあった。」とか。
失う前に気づく賢明さをもつと後悔しない人生を歩める気がする
失う前に気づく賢明さ。想像力。どうやったら養えるんかね。養うというより、日々の関わりの中で感謝を忘れないというのがきっと失う前に気づく賢明さを養うような気がする。
別に人生ガムシャラに頑張らなくても良いと思うんだけど、できるだけ後悔しない人生を送りたいって思うのなら、日々の生活の中でできるだけたくさん感謝することが大事なのかもしれないなと思う。
長く”在る”と段々当たり前って思ってしまうんだけど、それをいかに「いや、当たり前とちゃうぞ!」と思い返せるようになるためにはやっぱり、できるだけたくさん目を開いて、心を開いて、ちゃんと見て、感謝することなんだろうな。そうすることで、風化せずに「ありがたい(有り難い)な。」と思えるようになるんだと思う。
ありがたいと思う心があれば、失ったらどう感じるのかって想像できると思う。そうしたら後悔しない人生を歩めるんだと思う。”感謝の心”と”賢明さ”と”後悔しない人生”って全然リンクしない気がしていたけど、今日の自分はそんな風に思ったりする。
この気持ちを風化させないように、感謝の気持ちをできるだけ忘れないように生きていきたい。親孝行も少しはしないとダメだな。実家に帰ろう。帰る実家があることに感謝しないといけないな。
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