映画「国宝」を観た。喜久雄は人間国宝になるしかなかったという哀しさもある
血筋と才覚

どうも、ニシジマです。遅ればせながら映画「国宝」を今さっき観てきました。いやー良かったですね。血統と才覚の際どいところを才覚をもった人間側の視点で描いた作品でした。
ストーリーを簡単に説明すると、主人公、喜久雄少年は極道の家柄の子。やくざの抗争で両親を失って、歌舞伎役者に才能を買われることになります。そして、歌舞伎の世界に入っていくというストーリー。
歌舞伎役者一家(丹波屋)には、喜久雄と同い年の少年もいて、その子と一緒に稽古していくんだけど…っていう、名歌舞伎役者が父の息子と対比して、出自が極道だけどすごく才能のある少年が歌舞伎役者として人間国宝になるまでのことを描いた作品です。
今さっき観てきたばかりなのでまとまりのある感想が書けるかちょっと微妙ですが(本当はあと3回は観てから感想を書きたい)。
喜久雄は人間国宝になるしかなかったという哀しさ
出自が極道であったし、抗争で身寄りもなかったというところから、もはやどうしようもなかったし、歌舞伎役者になりたくてなっているわけではないというところが結構ミソだと思う。本人は生まれながらにして歌舞伎の才能があったことと、半二郎(渡辺謙)に見初められたことで、正直喜久雄自身としては「もうこれしかない」という切り札で人生を歌舞伎に賭ける。
人生の全てを賭けざるを得なかった歌舞伎で才能が世間に認められて、三代目半二郎に襲名が決まるも、後ろ盾だった二代目半二郎(渡辺謙)が死んだことと、出自が極道であることがバレてしまったことで、歌舞伎界から追放される。それと対比して、喜久雄の才能に嫉妬して逃げていた大垣俊介(渡辺謙の息子)は、なんやかんやで戻ってきて血筋を使って出世をしていく。
何者でもなかった極道の息子が、必死に頑張ってようやくつかみ取ったアイデンティティ(地位)を、自分の力ではもはやどうしようもない血筋で全部潰されてしまうというのは筆舌し難いきつさなんだろうなと思いながら、ビルの上で踊る喜久雄を観ていて思っていた。
そりゃあきついよ。自分ではどうしようもなくて、別に歌舞伎を志していたわけでもないけど、もう流れからそうせざるを得なかったから決めた自分の道で死ぬほど頑張ったのに結局、最後は血筋で捲られるんやもんな。グレるやろそんなもん。
大垣俊介(渡辺謙の息子)が喜久雄の才能に嫉妬して勝手に出ていったのに、やっぱり戻ってくる。俊介が歌舞伎役者として次の講演を練習しているときに、俊介の練習を監督しているおじいさん(師匠みたいな人)が「歌舞伎嫌いやろ?それでもいいのや」って俊介に向かって言うシーンがあるのな。あれは大垣俊介(渡辺謙の息子)に向かって言ってるんだけど、横で観ていた喜久雄に言うてるのや(多分)。喜久雄はこの言葉にまた苦悩するんやけどな。そう。喜久雄が歌舞伎に人生を振り回されて嫌いなんよ。でも、これしかないことも理解してるし、心から嫌いになれない自分もいるのよ。
一言で言ったら、もう全部決別して辞めてしまったらええやん?とも思うねん。喜久雄にとって歌舞伎ってめちゃくちゃ辛いものでもあるからさ。だけど、それしかないっていうのもあるねんな。大嫌いやし、人生を狂わされたし、だけどこれしかないし、これに才能があるしみたいな渦やと思うんよな。
それを表現しているのがビルの上の舞なんよね。
人間はヒストリーを感じたときに泣いたり笑ったりする
歌舞伎なんか全然興味ないけどさ、裏側を観て、演者の緊張や喜びや苦悩を知ると、途端に興味が出てくるし、涙が出てきたりするのな。場面場面を切り取って、それだけを観ているとどうしても感動ってし辛いけど、裏側っていうんかな。テレビでやってるプロフェショナルとか、M-1のアナザーストーリーとかああいうのを見ると、もっと深い意味で舞台を把握できるから感動があるのよな。
そういう意味で、映画「国宝」は歌舞伎役者の裏側を描いたテレビ番組、プロフェショナル的な要素があると思う。曽根崎心中の代役を務めることになった喜久雄が震えてるときに言ってたセリフで「お前の血をがぶがぶ飲みたい」って言ってるシーンはめちゃくちゃ泣けた。さすがに映画館なので、声を出すことはなかったけど泣いてました笑T_T
チャンスをモノにする人間は強い。賭ける気概
そして、喜久雄はなんやかんやでおじいちゃんになって人間国宝になるやろ。全てを捨ててな。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」なんよな。舞妓さんとの間にできた子どもと舞妓さんを捨てて人間国宝になるんや。人間って全部手に入れることはできなくて、やっぱりどこかで何かを捨てることでしか大成ってできないのな。それが良いとか悪いとかじゃなくて。別にこの映画で喜久雄が「悪魔と取引をした」ことを良しとしているわけではないんだけど。
喜久雄は正直言って、境遇的にあれしか道はなかったし、ああするしかなかったと思うのな。その反面、大垣俊介(渡辺謙の息子)は8年ほど逃亡しててもちゃんと丹波屋に戻って来れてるのな。喜久雄に比べて死ぬほど温いんよ。そんな俊介が対比関係になってるからこそ喜久雄の逆境感が引き立てられるんだけど、やっぱり人間って窮地に陥った方が死ぬ気になるんやろうなとは思った。
喜久雄に元々才能があったのはそれはそうだけど、それ以上に多分「後ろ盾がない」という事実を常にひしひし感じていた喜久雄はずっと死ぬ気やったんやと思う。これしかないみたいな。
だからこそ死ぬ気になって頑張ったし、死ぬ気になってしがみつこうとした。そして才能もあった。だけど、血筋で負けてしまったというやるせなさとかプレッシャーの部分で「お前の血をがぶがぶ飲みたい」という台詞が私には刺さりました。
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