【「初めて」はいつも手探りでよくわからない。】退職代行、モームリで新卒組に思うこと

弁理士試験

「初めて」はいつも下手くそで、よくわからない。

慣れるまでにタイムラグがあるから安心しろ。

30をとっくに過ぎて、最近よく何かを始めた頃のことを思い出す。色んなことをしてきたから、色んなことの始めた頃があるんだけど、挙げるとキリがない。

今日する話は、「初めて」はみんな手探りでわからない。それが普通だから、気楽にいこうという話だ。

ピアノ、アコギ、習字、英語学習、中学受験、大学受験、弁理士試験、、、学習に限らず、何事も誰でもみんな初めてがある。「初めて」バイトした日もあるし、「初めて」誰かと付き合った日もあるし、とにかく全てにおいて「初めて」がある。

大学一年生のとき、「初めて」バイトで個別指導で塾講師をしたときは、どうやって生徒さんに教えたら良いか全くわからなかった。かなり緊張していたようなことを覚えている。確か、1:2の個別指導で、二人とも中学生の女の子だった。50分の授業だったか、60分の授業だったかあまりよく覚えてないけど、バイト初日の前の日に、採用時にもらった授業の進め方みたいなのを見ながら、段取りよくできるかな…?と気を揉んでいたことを覚えている。結局、そのバイトには馴染んで、大学卒業まで働いていたし、結局、一番、生徒や塾講師の同僚や教室長とわいわい楽しんでいたと思う。まあ、「初めて」ってそんなものだ。

「初めて」はいつも手探りで、下手くそで、よくわからない。

思い返すと、「初めて」のときはいつも下手くそだし、不安だし、とにかく訳がわからなかった。雲を掴むように取り組む、まさに暗中模索。当て感がわからない。齢30を過ぎて、最近、前職とは全く別の業界である特許事務所に入所した。そこで、「初めて」明細書を書いたり、「初めて」中間対応をしてみた。まさに雲を掴むように仕事をしている。

明細書を読んでいても、その発明がどのくらい難解な(もしくはシンプルな)発明なのかがわからない。今振られた仕事はどのくらいの時間がかかるのかもわからないので、うまく段取りも組めない。明細書を読もうとするのだけど、全く頭に入ってこないし、集中して読んで「何となくわかってきたな…。」と思ったら数時間が過ぎてたりする。周りの社員さんの1/100みたいな速度で仕事をしている。

前職は予備校で全国模試の作成をしていた。当時、模試を作っていた頃の片手間感とは全然違う。そりゃあ10年近くやっていることと、「初めて」やることでは全く様相が違うのは当たり前だ。「初めて」とはそんなものだ。所ジョージがやっていた「初めてのおつかい」っていう番組があったけど、まさにあれだ、あの番組でおつかいを頑張っているチビッコだ(新卒の方には古いか?)。新卒で「訳がわからない!社会厳しすぎ~(´;ω;`)」って嘆いているみんなも今あのチビッコなんだよ。それで普通だし、焦る必要はない。そのうち慣れるから。

そんな感じで、「初めて」というのはわからないことづくしだ。わからない中でわかるものを見つけて、それを足掛かりにしてもう一段登る。すると、以前よりももうちょっとわかるようになってきて、景色が少しずつ見えだす。ピアノ、アコギ、習字、英語学習、中学受験、大学受験、模試作成、弁理士試験、明細書作成。やってることは違うんだけど、取り組み方はよく似ていて、根っこのところの姿勢は同じである。

【まとめ】「初めて」はわからなくて普通だ。わからない状態がずっと続くわけじゃない。1年後に違う姿があるから少し待とう。

色んな「初めて」

今日は私が経験した色んな「初めて」を紹介しようと思う。色んな「初めて」を思い出して、「「初めて」はそんなもんだ。半年、一年くらいやれば慣れてくる。」ということを思い出してみたい。あなたもきっと今まで何かに取り組んできたはずだ。何でも良い。勉強じゃなくても良くて、部活でも習い事でも良いし、好きな趣味でも何でも良い。趣味じゃなくても、誰かと「初めて」付き合ったときのことでも良い。何かを人生で初めて、始めた頃を思い出そう。きっと、意味が解らなくて、毎日手探りで、下手くそだったと思う。「え…?キスしていいの…?」とか「手繋いで良いよね…?」と悩んでいたはずだ。それだ。それが今の君なんだよ。そんなときに早計にせっかく付き合った彼女と別れてしまうのはもったいない。退職代行、モームリ(モームリじゃなくても良いんだけど笑)に電話をする前に、もうちょっとその会社を味わってみるのも良いんじゃないだろうか。

そして、何人かと付き合ってきた今の自分と比べてみよう。きっと全然違う今の自分がいるはずだ。「「初めて」ってそんなもんだな。」と気楽に構えてみよう。「初めて」は解らなくて普通だ。どうせ何をやってもしんどい。気楽にいこう。

中学受験

古い記憶で残っている「初めて」は中学受験だ。小学校5年生の終わりに塾で、あるC中学校の過去問を解くことになった。当時志望していたA中学校から比べると2ランクほど下の中学校だったが、全く歯が立たなくて、来年これでいけんの、、、?と採点結果を見て、驚愕したのを覚えている。当時、5年生の中では上々の成績を取っていたにも関わらずだ。私だけが悪いという感じではなくて、周りのみんなも同じような感じだった。結局、小6の1年間勉強した末、私はA中学校には受からず、B中学校に進学することになった。何点で合格したかは知らないが、B中学校は余裕で受かっていたと思う。真剣に取り組めば1年間という時間で結構物事は黒から白に変えられることも多い。1年あると人は結構変わる。1年とはそんな時間スパンだ。

中学受験が終わったときに使っていたテキストやプリントを捨てる前の写真

大学受験

B中学校を卒業し、そのままエスカレーター式にB高校に進学した私、ニシジマは全く勉強していなかった。正確には中間期末前だけガッと勉強して、その場を何とかやり過ごすような中学・高校生活だった。しかもガッとやってどうにかなるような器用なタイプでもないので、成績は中下層だったことは言うまでもない。いや、ほとんど下層に近かった。そんな感じで高校3年生の4月を迎えたニシジマは「そろそろ大学受験だよな〜。」と呑気に構えながら、予備校の授業を受けていたのを覚えている。そして、今(前職)でこそ、偉そうに受験生向けの模試(化学)を作っているが、当時4月のニシジマは「mol」の概念がギリギリわかるレベルだった。つまり、何もわかってないに等しい状態だった。

のらりくらりやり過ごしてきた多重債務が4月に一気に押し寄せてきた。債務不履行責任を問われて、損害賠償請求、債務の履行、そして遅延損害金に苦しんでいた高校3年生のニシジマは自習室に引きこもっていた。毎日予備校の自習室にいたので、高校より通っていたと思う。

ニシジマの心(待って!弁済期(受験日)は来年の2月だから!!まだ、履行遅滞じゃないの!!)

自習室に籠り切って、理系の方お馴染み、かの有名な「重要問題集物理」をガリガリやっていた。

やってた重要問題集

ニシジマの心(こ、、、これはっ、、、む、、、ずすぎる。)

蝉時雨が降り注ぐ中、ニシジマの頬に一筋の涙が伝った。朝の9時に予備校の自習室に行って、12時の昼休憩までの間、「重要問題集物理」をゴリゴリ解いていた。解いていたというより、ほとんど解説を見て納得をして、閉じて自分で解いてみるみたいな感じだった。3時間で1問しか進まないという毎日が続いた。そんな人間が5年後には全国模試を作るのである。

結局、その年(現役)の受験は国公立も私立も全滅した。ちなみに、高校3年生の1年間は、普通の受験生並みくらいには頑張ってたと思うが、初期値があまりに低すぎた(それでも弁理士試験と比べるとかなり手ぬるいが)。

晴れて浪人をすることになった。浪人時代はそれなりにやっていたと思うが(とは言ってもやっぱり弁理士試験の取り組み方からすると、本当に生ぬるい…。)、とりあえず、こんなアホな私を受け入れてくれる寛大な大学が無事見つかり、ことなきを得た。一応、現役時代と比べると目を見張る成績の上昇だった(何度も言うが、初期値が低すぎるのだが)。

2年あれば結構変わる。2年とはそんなスパンである。

模擬試験作成(化学)

散々飲みまくって、ダラダラ遊びほうけていたニシジマもとうとう社会人になった。入社したのは予備校で、模擬試験の作成や、生徒への化学の指導など色々していた。

大学受験からいったん離れると、大学受験の化学の問題なんて解けるわけもなく、正直付け焼刃で入社試験の化学の問題は突破したのだが、いざ入社してみると、全く分からない。作成する模擬試験の問題は自分が入学した大学の入試問題よりも遥かに難しいし、質問してくる生徒の志望校も母校なんかよりもずっと上の大学だ。

そんなこんなで、入社1年目のニシジマは(これはさすがにやばい…。突貫工事で高校化学の知識を充填しよう…。)と思い立ち、仕事の傍ら、旧帝国大学の入試問題を東大から順番に各9年分、つまり、63年分を解くことにした。

無論、ボケボケのニシジマの頭では東大の化学なんて歯が立たなかったのだけれど、解説を読んでいるうちに段々と理解していくようになった。もちろん、「初めて」解いた頃は「は?」っていう感覚の連続なんだけど、それを繰り返していくうちに少しずつ少しずつ氷解していく。今となってはどうしてそんなモチベーションがあったのかなんて全く分からないけど、とりあえず、模試作成に耐えうる知識をつけないとマジで仕事にならないと焦ったのは事実だ。実際、内定が決まった後、学部の友人に「マジで教えられる気がしない笑」と嘆いたことを覚えている。

結局、入社2年目に化学担当の先輩が退職することになり、私が一人で化学を担当することになった。結果オーライというか何というかよくわからないが、63年分の問題を解いたおかげで、最低限業務を遂行することができた。

そして、長い間模試を作り続けることで、出題者もすることがあったし、生徒からの質問や、急な原稿についてもほとんど一瞬で理解することができるようになった。決して頭が良いというわけではなく、長い間、触れて考えていたからである。63年分の問題を解かなければこうはならなかったと思う。

「初めて」とはそんなものだ。そして、1年とはそんなスパンである。

弁理士試験

最近で言うと、弁理士試験の勉強を始めた。2021年の3月14日からスタートしたので、丸4年。最初は軽いノリで始めた。「最難関理系資格」というイケメンな響きに吸い寄せられた節はある。節しかない。モテるのではないかという安直な思いからである。(断じてそんな浅はかな思いからではない。知的財産を守りたいという一心からである)。

法律だし、丸暗記したらいけるでしょ!という気持ちで挑んだが、初年度のLEC専任講師M先生の講座はマジでわからなかった。これは確実にM先生のせいではなく、ニシジマの頭脳の問題である。

さすがに先願主義とか新規制喪失の例外とかは聴いたら何となくわかるんだけど、優先権の主張が絡んだ拡大先願とかもうマジで意味がわからんかった。映像授業だったので、2時間の授業を毎回、毎回、3時間かけて聴いていた。巻き戻しまくりである。何度聴いてもわからない箇所は質問をしたが、もはや質問する次元じゃないくらい意味がわからないときは先生の言ってる言葉を一字一句テキストにメモっておいた。少し賢くなって戻ってきたときに読み返してわかるようにという目的だ。

そんな感じで泥臭くやっていたニシジマも初年度(R4)の短答式試験は25点という全く掠りもしない快挙を果たし、無事桜散る。かなり頑張っていたが、正直、理解度に鑑みて妥当な成績だったので、落ち込む余地すらなかった。ちなみに1600時間ほど勉強した結果である。今回のテーマに戻るが、「初めて」とはそんなもんだ。

そんなこんなで次年度(R5)は38点(39点で合格)ということで、また桜散る。そして、去年は40点でようやく一次試験である短答式試験に合格し、同時に論文式試験(必須)に合格した。論文式試験(選択:有機化学)は59点(60点で合格)で桜散り、今年は民法に鞍替えして挑むというわけ。

もう一回採点してみたら、40点でした。

実に泥臭い。毎日、毎日、平日は家で、休日はガストと図書館を巡り巡る生活をして少しずつ少しずつだ。「初めて」とはそんなものだ。

4年前は、法律なんて勉強したことがないし、先願主義という言葉も聞いたことがあるようなないようなというところから、ここまでやってきた。4年とはそんな時間スパンである。

民法

民法の勉強を始めてから、早半年ちょっとが経とうとしている。始めた当初は民法なんて709条損賠(弁理士試験で出てくる)くらいしか知らなかったけど、ちまちま勉強して、毎日ガストでコーヒーを飲みながら論文を書いているおかげで、アウトローな私だったが、人並みにリーガルマインドが備わってきた。

どれくらい伸びたのかを定量的に答えるのは難しいけど、テキストに書いてあることを一つも知らないところから、とりあえず論文を書けるところまで成長した。半年とはそういう時間スパンである。

退職モームリは早計過ぎやしないか?

最近の新卒諸君は、入社日にいきなり退職モームリを使って退職するらしいが、せっかく色々自分なりに考えて、その業界やその会社を選んだはずだ。とりあえずやってみるのが良いと思う。わからないというのはつまらないし、苦しいのはよくわかる。

きっと30を過ぎた私たちよりももっと「コスパ」を重視していて、youtube動画ですら長く感じてTiktokが流行る世代だ。映画を2倍速で観る世代だ。私たちとは価値観が違うのだと思う。

しかし、何事もさすがに数ヶ月くらいじゃ何もわからないのが普通だ。つまり、辞めるべきかどうか正確な判断なんてできないはずだ。社会に出て、「初めて」ばかりで、息継ぎがない潜水をしているような気分になるが、コツコツ取り組んでいれば何かが見えてくる。

何かが見えてきてから決めても遅くないのではないだろうか。見える前に辞めるのは損切りなのだろうか。自分の判断が、ちゃんと全てを踏まえた損切りなのか、一過性の単なる逃げなのかは、はっきりさせた上で動こう。目の前の気持ちを大事にするという考え方もすごく大事だが、大事にしすぎると近視眼的になりすぎて、結局、長い目で見て損をする。

実は、目の前の気持ちを大事にせず、遠い未来を見据えることは、めちゃくちゃ難しくて、かなり大事だということだ。人間は易きに流れるように作られている。私の人生経験上、近視眼で目の前しか見ていない人ほど人生は悪い方向に進んでるし、遠い未来を見据えられる人ほど良い方向に進んでいる。正確には、遠い未来を見据えて「今を」生きている人は良い方向に進んでいる。

何にせよ、バランスが大事だ。遠い未来を見据えつつ、今を楽しむというのが良い人生を歩める生き方だと思う。辞めるにしても、次に繋がるような辞め方が良いと、おせっかいな老婆心ながら、おじさんは思う。

ピアノとアコギ

ピアノを始めた頃

ピアノは3歳から始めた。物心がつく前の話なので、自分から弾きたいと言ったわけではなく、気づいたらピアノ教室に入っていたという感じだ。練習を真面目にするタイプだったかと言われると、特にそういうわけでもなく、本当に「それなりに」頑張っているというくらいの生徒だった。「それなりに」頑張っているくらいだから、ちょうど「それなりに」くらいの腕前になった。大人になってからは趣味ではあるが、真面目に弾くようになったので、大学在学中の4年間で、結構上手になったような気がする。

とりあえず、「まあ、弾けます。」というくらいなのだが、思い返すと、3歳の頃は何も弾けなかった。というか手が小さすぎて鍵盤が届かなかった。トルコ行進曲とかだと、オクターブ奏法が入ってくるので、手がある程度大きくないと弾けない。

しかし、小学生のニシジマは手が届かず、指の幅を広げるために風呂で指と指の間をおもっきり伸ばしていた。おかげで、ニシジマの手を見ると、指と指の間に「水かき」がある。これは実はピアニストがする、指を伸ばす手法らしい。ピアニストの場合、もっと広げられるようにこの「水かき」をジョキンッ!と切るらしいが、ニシジマは流石に切っていない。

ピアノを弾き出した頃は何も弾けなかったが、毎日毎日練習を繰り返すうちに何となく色々弾けるようになった。ピアノの練習成果というのは1年とかじゃわかりにくい。でも、3年とか5年とかのスパンで見てみると、確かに上達している。3年とか5年とかの期間っていうのはそういうスパンだ。

Fコードが弾けなかった頃

ピアノを弾いたことがない人はアコギでも良いと思う。高校生の頃、誕生日プレゼントか何かで親に2万円ほどのアコギを買ってもらった。何となくピアノに飽きてきて、他の楽器も触ってみたいなと思っていた頃の話だ。

アコギを弾いたことがある人ならわかるが、アコギの「初めて」もなかなかしんどい。まず、ギターの弦が堅すぎて、指の皮がめくれるのである。そして、爪が短くなる。ニシジマの指を見ると、コードを抑える左手の爪は右手の爪より短い。これもアコギを弾く人あるあるだと思う。ニシジマの左手は爪が短くて、水かきがある。右手にはペンだこがある。

コードチェンジができるようになってきた頃にこぞってコピーをするのが、スピッツのチェリーだ。スピッツのチェリーにはFコードが出てくる。Fコードというのは「ファ」を基礎とした和音みたいなものだ。Fコードの何が難しいかというと、バレーコードと言って、人差し指で1弦から6弦まで全ての弦を抑えないと音が鳴らないという初心者泣かせのコードである。

アコギを始めた人の13割が躓くと言われるこのコードであるが、御多分に漏れず、ニシジマもFコードを鳴らすのに苦戦をした。どうやってネックを握れば音が奇麗になるのかを毎日毎日試してみて、べろんべろんに手の皮がむけたものだ。今となっては良い思い出(?)かもしれない。

アコギは結局2年くらいちょこっと練習しただけであまりちゃんと弾いたことはないのだが、今思い返すと、これもまた「初めて」の頃、苦戦していたものだ。また、弁理士試験が終わればちゃんと挑戦し直したい。そして、残念ながら、大学を卒業してからは忙しくなってピアノを弾くこともあまりなくなったので、どんどん腕前は衰えている。また、弁理士試験が終わり次第、ピアノも再開して、今度は今までよりももっともっと上手くなりたいと思っている。

「初めて」とはわからないものだ。手探りでもがいているうちに何かが見えてくるのが人生だ。

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